狸オヤジへ愛をこめて──50歳・反抗期の終りに──


むすかりんT&S


      4




とは言っても、彼の意識が戻りかけた時には道端に倒れており、事故の相手や近所の住人が覗き込んでいたことは理解できたものの、直前の事故そのものについては何も思い出せなかった。
痛みはなくむしろ朝の目覚め前のようで、後々「実際に死ぬ時もあんな感じだといいけど」と思い出すくらいに気持ちがよかった。
また背中の下のリュックの感触からどうやら買い物の帰りらしいことが判ったが、そういえば「買い物に行かなくちゃ」とパソコンの前から腰を上げたことがまるで何日か前にでもあったような気がした。
病院に搬送されて少しずつ意識を取り戻し、それでもまだ朦朧としたまま「骨盤下部と右大腿骨にひびが入っただけなので手術の必要はない」という、いつの間にか撮られたレントゲン写真を示しながらの医師の説明を聞いた。

人生で初めての入院は、煎餅布団の中で湯タンポがわりの圧力鍋を抱いて眠る冬の極貧生活から凛を解放してくれた。
また食事にしても、十数年前の親との別居いらい雑草を「野野菜のやさい」と名づけて食べてきた凛にとって、久々に食べる茶わん蒸しやロールキャベツはちょっとした御馳走だった。
「まるで旅の宿にでも来たみたいだな」
しかし深夜になると同室の患者のうち3人のいびきが競うように轟きわたる病室の窓から見えるのは、ネオンでも漁火でもなく、闇の中で眠りについた冬木立のニュータウンという、暖房の完備したこの病室からでもなければ楽しめない風景だった。
治療費は事故相手の保健から下りるそうだが、凛には病院に長居したくない事情や生活信条上の理由もいくつかあり、翌日には帰宅することにした。

それはそうと彼の頭から離れないことが一つあった。
たかが頭を打って気絶しただけの人間に、まさか臨死体験は訪れないだろうが、救急車に載せられる前か後かに少し意識が戻りかけた時、彼は 「まだ死ぬなよ、おまえの人生、これから面白くなるところだろう? あの人にもあれを見せてやらなくちゃ」 という(恐らく自分の)声を頭の中でたしかに聞いたのだ。
今思えば「あの人」とは他ならぬ杉畑理事長のことに違いなかった。
また「あれ」を完成させるためのパソコン作業は、移動もままならぬ自宅療養の生活を送らねばならない自分にはちょうどいい気晴らしになることだろうと思えた。

警察での事情聴取、保健会社や自転車屋との交渉、隣町の図書館への本の返却などには疲れたが、療養生活はほぼ快適だった。
一人暮らしの彼にとって療養中に不便なことといえば、松葉杖で両手がふさがるために持ち運ぶことのできない食事をガスコンロの前で食べねばならぬこと、ポケットに入らない物を運ぶために家の中でも常にリュックが手離せないことぐらいだった。
心配そうに退院を許可した医師の診断通り、松葉杖は一か月で取れたが、頭の傷の縫合は、太いホチキスのような針で止めてあったためペンチでもなかなか切断できず難儀した。
深夜、玄関のドアが開かなくなるほどの積雪を百円ショップの杖を頼りに掻きながら「俺をナメるなよ!」と呻いたこともあった。

そんな生活の中でもサイト制作は着実に完成へと近づき、ちょうど杖が不要になる頃には、ついに彼が一から自作したサイトを晴れてアップロードすることができたのだった。

凛は目的達成の高揚感の中で杉畑理事長に人生2度目のメールを打ち、サイト完成を報告した。
理事長を一刻も早く喜ばせ、安心させるためだろうか。いや、あの理事長が凛のサイト制作の行方を心配しているとは彼には思えなかった。
一番大きいのはやはり「見返してやりたい」という気持ちだったかも知れない。
「支援者のおまえが『あれはできません、これもできません』と支援を拒み続けた相手は、こうして自力で目指す地点にたどり着いたぞ」
それを目の前に突きつけてやりたかったのだ。
人には卑しいと言われるだろう。しかし思い出せばあれだけ重ねられてきた無視と放置、嘘と裏切り、軽視と粗雑な扱いに対する報復としては、許されるべきほんのささやかなものではないか。

理事長からは「beautitfulです! さっそくリンクさせて頂きます」
という返信があった。
例によって凛には理事長の真意は窺い知れなかったものの、この一文には今の彼の得意な心境を快く刺激するような響きを感じた。

しかしその数日後、センターのサイト内にある理事長のブログをチェックしていた凛の目に
「当事者のブログ・HP集を作っています。新たに六坂凛さんのホームページが加わりました」
という一行が目に入った。

その瞬間、凛の頭に血が昇った。
ある目標のために凛が今まで抑えていた理事長やセンターに対する怒りが、このまさかのダメ押しに弾けた瞬間だった。
また、その怒りには恐怖に近い感情も若干混じっていた。
彼にはこのようなことを平気でやってのける泥棒ダヌキの神経が理解できなかった。
主語が省略されているのは故意によるのか、あるいは無作意なものか。いずれにせよこれが読者にどう解釈されるかは明らかだ。
「今まで希望する支援を受けられなかったことについては、一切恨むまい。しかしそのおかげで自分で作り、運営しなければならなかったウェブサイトを、センターの支援活動の成果に偽装されることをこのまま俺が許すと思うか!」

もっともセンターのサイトにある「当事者のブログ・HP集」なるものには、センターと全く関りのない人物に理事長がリンクを申し込んだだけののものも混ざっていたことを凛はこの時点で知らなかった。
別に理事長はそれを隠していた訳ではないが、それを明記した文章は長い間にセンターが発信した膨大な情報の中に埋もれてしまっていた。
つまり名称を「ブログ・HP集」ではなく「リンク集」にしてさえいれば、理事長による先の一行もそれほど悪質な記述ではなかったのだ。
ともあれ凛はこの一件を決定的な動機として、センターの告発を決意したのだった。

短足オヤジ、ハゲオヤジなどと通所者の若者たちに呼ばれ、それを許し、むしろ楽しんでいる自分のおおらかさに嬉々としている杉畑理事長のことでもあり、反抗期の叫びぐらいにとらえていたかも知れないが、ネット上にはセンターに対して無視できないほどの批判の声が挙がっていることを凛は知っていた。
それらの声を読んで彼らの感情の激しさに圧倒された後で彼は、理由はどうあれ杉畑理事長という人は、よほど人を怒らせるのが上手なのだろうと思わざるを得なかった。
それはもちろん凛自身にも思い当たることだが、彼らが激しい怒りに追いつめられざるを得なかった個人的な経緯が必ずしも十分に理解できなかった凛には、彼らの声が「潔癖な道義論」「感情にまかせた報復」と見なされ、それを読んだ人の心にむしろ、センターに対する根拠のない同情を起こすのではないか、という危惧も感じられた。
「俺がセンターから受けたような扱いを経験した人は他にいないのかな」
自分がこれからしようとしていることは、あるいは孤独な戦いになり、また他の批判よりもセンターにとっては痛手になるかも知れないことを覚悟しながらも「しかし是非は別問題だ、毅然とした態度を貫こう」と凛は思った。
彼の中にも、そう自分に言い聞かせねばならないほどの葛藤はあった。

凛はA4封筒を取り出した。それは3年前センターから届いたものだった。彼はセンターとの間にやりとりされた事務連絡やその写しはほとんどこの中に入れてきたのだ。
結果としてそれは彼とセンターとの間に起きたトラブルの部厚い記録になっていた。
彼はその中から主なものを抜き出し、理性的に簡潔にと自戒しつつ書き連ねた。
単なる私憤の表出ととられぬよう湧き上がる怒りを抑えたつもりだが、内容が内容だけにそれが読む人に伝わらないはずもないし、それも止むを得ないだろうとも彼には思えた。

文章の推敲を終えると彼はそれを再読した上でなお気持ちに迷いがないことを確かめ、「引きこもり活動支援センターの実態告発」というタイトルでアップロードした。
一方理事長へはメールでこれを通知してその内容に誤りがないことを確認して欲しい旨伝えた。
「まさかこんなことにネットの力を借りることになるとはな」
やがて理事長が送ってきた次のような長いメールの内容は、理事長との10年越しのつき合いを経た凛にとって驚くべきものではなかった。

(1)あすなろ雑貨への作品の掲載が無断であったというのは私のミスです。
というよりも掲載を外すのを後回しにしたまま、忘れていました。
そこにある作品への注文はないので見る機会もなくそのままでした。
近く新しい「あすなろ雑貨」ページを引きこもり活動支援センターの中につくり、いまのサーバーに借用しているページは消去します。

(2)六坂さんの作品は、創作展の場で何点かは売れています。記憶では「売り上げはいらない、カンパします」と言われたように思っていました。 これが間違いであればお支払いするのが当然です(先日のコミティアに出展し「蝸牛園通信」も1冊売れました)。 支払額というか、今まで何が何点売れたのかの記録確認に手間取るはずです。 1000円は超えています。お待ちください。
ユニット折り紙は前にお返しした分がすべてです。こちらには1点もありません。販売分は計算してから支払います。

(3)引きこもり活動支援センターの体制はほぼあなたが感じ、指摘する状況です。
作品の販売に関しては販売自体がないので、体制をどうこうする必要はないと思います。
売れなければ体制も必要ないのです。

(4)けれども先日のコミティアに参加し、全部で15冊売れました。
ここを継続して売れる場にできるかもしれないと感じています。
それにともない販売のチェックや作品づくりを呼びかけようと思っています。
あすなろ雑貨ページの作り直しを始めたのはその一環です。
コミティア参加の感想はブログに書きました。

(5)引きこもり活動支援センターはいろいろと不十分・不備の多いところです。
それは自覚していますが、それでも忙しいのでさしたる役割のないところは省略、というか手が届きません。
あなたが不満足に感じるのはそれに関係しています。精密さを求めそれを追求できる状態ではないと理解してください。
創作活動をする人にその作品を発表する場をつくり、そのあと作品の商品化と実質的に売れる場を求めてきました。
ようやく少し手がかりがつかめる地点に近づいた気がします。
不備は承知ですので、あれこれ言われるのはやむをえません。
何もしなければ誰からも何も言われないのですから、言われているうちが華でしょう。

(6)次回のコミティアは5月5日で、出展したいと思います。
本や冊子だけではなく手芸品やポストカードなど本以外の作品も出展・販売の対象です。
ユニット折り紙を出展していただければ有力な出展作品になると思います。
とはいえよく売れて千円単位と承知してください。

これに対し凛は

(1)については、今までに何度も抗議を受けておいて忘れるとは考え難いこと、
(2)については、作者利益の送金と売り上げ部数の報告は違うこと、作者による売り上げ寄付の広告がないのは違約であること、
(3)については、「売れなければ体制も必要ない」のであればネットショップもただちに廃止した方がいいこと、

を指摘した。
存在しないはずの商品については、理事長が即時削除を拒んだため、凛が直接レンタルサーバーの会社に著作権違反と「不在商品の販売」を通報し削除を要請した。
その結果まず凛の作品の画像が削除され、数日後には理事長の予告通り「あすなろ雑貨」のサイト自体がなくなっていた。
パソコン音痴の理事長には酷だったかも知れないが、これが世間一般の常識に則った措置というものだろう、と凛は思った。

理事長は凛によるネットを通じての抗議がさすがにこたえたらしく「あすなろ雑貨」の閉鎖を報告するメールには「六坂さんにはご迷惑をおかけしました」とあった。
凛が売り上げ報告と広告を頼んだだけの冊子についても、いつの間にかこれも凛に無断で電子書籍化したものを除いて、最初から存在しなかったかのように封印してしまった。
混乱してしまったのか、あれこれ仕分けするのが面倒になったのか、それともいらぬ気を回したのか。
あるいは理事長による凛への報復である可能性も否定しきれなかったが、「存在しなかった」ことになるのなら、今後新たなトラブルの元になるとも考えられず、彼にとってむしろいっそ気が楽な面もあったので、気にとめないことにした。

ネット上に告発文を公表し、理事長からは不完全ながら謝罪の言葉を得たことで凛の溜飲は少し下がったが、公式には何の反応も示さない以上、彼にとって理事長は依然として汚れた手を隠し、頬かむりを決め込んでいるようなものであった。
事実、告発内容についての個々の問い合わせに対しては「あれは事実無根の話でして……」と説明しているかも知れないのだ。 そうだとすればやはり許す訳には行かない。
またセンターの活動を公の問題として提起した以上、彼にも幕を引く訳にはいかなくなった、という大義名分も成立することに凛は気づいた。
つまり「隗より始めよ」とも言う通り、彼は今その問題を解決する努力を示して見せざるを得ない立場に立っているのだ。

「引きこもり活動支援センターの実態告発」第2部をどういう形にしようかと考える凛の頭に浮かんだのは、メールによる理事長へのインタビューだった。
センターの活動の理念や実態のうち不明な部分、納得の行かない部分を理事長に直接聞き、自分の意見をぶつけてみよう。
ふだん能弁な理事長が語らぬ部分にあるトラブルの根本原因をつきとめ、再発を防ぐために改善を要求し、公表しよう。
これは「自分と他者、自分と社会の関係に、『No』といえる機会を持つことは、自分を他人から区切っていく<自立>へのわずかではあるが、確実な証拠でもあるからです」 「私は弁証法というのが好きです。それはお互い話し合っていくという意味であり、真理に近づいていくための方法です」と宣言している理事長にも相応しい方法のはずだった。

この件を凛がメールで提案すると理事長は「了解しました。そのうち質問をお送りください。お返事はすぐにできる自信はありませんが、いつかはお送りできるはずです。」 という返事を送ってきた。
「さて、果してどうなるかな……」
杉畑理事長は弁が立つ上に、何をしでかすかわからない人だということを思えば凛の緊張感は高まったが、彼の目的は相手を論破することではなくあくまで反応を引き出すことにあるのだし、今回のインタビュー記事を管理するのも彼なのだ。
回答さえもらえればそれ自体がある程度の成果だと思っていいし、個人情報の暴露や不本意な改変も防げるだろう。

ちなみに凛は理事長からのこの返信にあった次のくだりを読んで「おや?」と思った。
「久しぶりにウィキペディアの『引きこもり活動支援センター』の項目を見ました。アクセスが多いはずなのでそのぶん影響も大きいと予測します。(中略)六坂さんが考えていること、提案されていることには感謝すべきものがあると思います。久しぶりにウィキペディアの記事を読み直したこともそうです」という部分である。
これは告発文がウィキペディアに参照されたという凛からの一応の報告にこたえたものだった。
しかし凛は、理事長が彼からのメールを受け取る2日前に「sugihatatakesi」という人物がウィキペディアの「引きこもり活動支援センター」のページから解説文の一部を削除していたのを知っていた。
翌日、凛がそれをさりげなく聞いてみると、理事長はその事実をあっさり認めた上、センターの最新の活動や、ウィキペの編集方針への違和感についての自説を無邪気に述べた後に「あなたからの連絡があったのはウィキペディアの記事を読み直したそのあとです」と結んだ。
「この期に及んでまたウソか……」
質問を重ねると回答が変化するのは相変らずだが、今回はさいわいさほど悪質なものではない。
「評判なんかそれほど気にしてはいませんよ」と少し余裕を装っただけのことだろう。

思えばこのように、自分が咄嗟についた嘘を次の日にはすっかり忘れる憎めない抜けタヌキの方が、周到に練られた鉄壁の嘘をつく人よりはマシだ。
とはいえ、やはり嘘は嘘だ。こういうことを繰り返せば、バレたことに本人が気づかぬうちにやはり周りの人は去ってゆくだろう。
「気をつけないと愛想つかされるぞ、タヌキ親父」
凛は、苦笑する自分に余裕が戻りつつあるのに安堵しながらも、理事長の「親と子で模索するひきこもり脱出」を思い出して 「あの本を読んだ人の信頼を裏切るような振舞いはもうして欲しくないものだな」と心の中で呟いた。

しかしその後、凛が大いにあり得ることと予想していた通り、いつまで待っても彼が送った質問に対する理事長からの回答はなかった。
凛は「7月」という具体的な情報さえも引っくり返された手記出版の打ち合わせの一件を思い出した。
まして「いつか」や「そのうち」などは、理事長にとって無期限引きのばしの常套手段でしかないのに違いない。
それにしてもあの程度の裏切りに驚いた自分はうぶだった。それに比べれば今の自分はずいぶん「鍛えられた」ものだ。
回答するつもりがないのならそれでも結構、センターの実態に関心を持つ人にとってはその沈黙自体が一つの答えになるだろう。
凛の方に急ぐ必要は全くなかった。
そのうちネット上に凛が発信したメッセージが「目の前にありながら忘れられた」状態になるかも知れない。
「引きこもり活動支援センターの実態告発」第3部は、その時が来てから考えればよいのだ。

こうして半年が過ぎた。
理事長との間には何も起こらないないままだったが、その間凛の頭の中をいろいろな考えが流れていった。

ある時凛は理事長のメールにあった「六坂さんにはご迷惑をおかけしました」という言葉を思い出した。
今までのように「おかけしましたが……」ではなく「おかけしました」となっているのに凛は少し心を動かされた。
謝らなくても許される局面では謝罪の言葉を安売りし、逆に許されそうにない局面では弁解にもならない弁解を並べるか、無視を決め込むところを見れば、自から「アスペルガー気質」を認ずる理事長にも世間の人ほとんどに備わっている心的機制が働いているはずだ。
それを踏まえれば、謝罪としては不十分なこの言葉だからこそ、理事長が味わうべくして味わっている心の痛みが感じられたのだ。
あの理事長が彼の怒りを受け止めざるを得なかったことを告白しただけでも、ひとまずの上出来ではないだろうか。

支援活動にたずさわる人の中には嗜癖に陥る人もいるという話を凛は思い出した。
断言はできないが、そのような問題意識を持っているとも思えない理事長に誘われるまま、センターも依存性の強い支援志望者のたまり場と化しているのではないか、凛はそのような可能性もかねて少なからず感じていた。
しかし、それは決して凛自身にとっても他人事ではないだろう。
「センター批判」が自分の存在価値の全てになってしまえば、たとえ目指す方向は逆のように見えても、結局は彼らと変るところなど何もありはしないのだ。


またある時ふと凛は、引きこもり活動支援センターから9年振りの知らせを受け取る前のことを思い出した。

テレビもパソコンもなく創作に追われることもない生活は、穏やかなものだった。
ある時は窓から入る光や風に、その季節、天候、時刻、そしてその場所にしかない幸せを感じ、有難さに涙が出た。
できれば毎日一度ずつでも、ときには自室で黙想中に、またときには買い物の道すがらに訪れる、このティッシュペーパー一枚のような「天国の欠片」を記憶という樽に詰め重ねて熟成させ、「堅気」の人よりは早く迎える人生の終わりに備えよう。
それこそが何にもまさる人生の目的なのだ、そう教える神がいつしか自分の中にいるような気がしていた。
金で買った刺激で生活を満たし、その結果感度の鈍ったアンテナに響くさらに強い刺激を求める、そんな悪循環から逃れられない人たちに比べて何と自分は幸せなのかと凛は思っていた。

その頃は庭が凛のすべてだった。
植物自体がこの世界におろされた彼の根に他ならなかった。
ひたすら植物と向き合う営為は、工作品や文章の創作と比べればあまりに受け身だったが、彼にはそれで十分だった。
今も彼の狭い庭には、置き場所にも困るほどの植物が育っている。
そんな凛の記憶の中には、ある時は努力の甲斐もなく、ある時はその存在さえも忘れられ、またある時は現実離れしたアイデアの犠牲となって枯れていった植物たちがいる。
彼らが凛に教えてくれたのは、際限なくふくらむ夢に時間を忘れる幸せと、「自分もまた、ときに気まぐれな力に支えられ、ときに見放され枯れてゆく植物の一本にすぎない」という真理だった。

凛は現在のセンターの状況を思った。
自分が「書いてあげる側」になりたいという「文通ボランティア」希望者ばかりが一方的に意欲を燃やし、数を増やすばかりの「文通仲介活動」。
常連メンバーが増えた結果、そのような引きこもり度の低い集団への「転校生」になることを恐れて、新規の参加希望者が減ってしまった「居場所活動」。
凛から見れば、道義性や有効性や意義に疑問を感じる点はある。
しかし理事長がやりたいことをやり、少数でもそれに救われる人がいるのならそれでもいいのではないか。
極論すればたとえそれが、支援団体の存在や「引きこもり」という言葉をセーフティネットにして「引きこもりになった」だけの、したがって支援と呼べるほどのものを切実に必要としない人たちであっても、だ。
凛には凛の庭があるように、理事長にはセンターという理事長なりの庭があるのだ。
持ち主が庭に向ける執着と情熱の前にはどんな正論の介入も無力だろう。
むしろ多くの批判を受けている現状は、かえって現在の活動スタイルに対する理事長の執着を強めている可能性もある。
「それじゃ不毛な意地の張り合いにしかならないだろうな」
センターを新たな悲劇の舞台にさせないために、凛ができることはすでにもうし終っているのだ。
そう思うと凛は、今や自分と社会との唯一の接点とも言えるセンター告発にむなしさを覚え、キーボードに向かう気も起きなくなっていった。

心おだやかな生活が彼を待っているはずだった。

ある日の夕方、何者かが鍵のかかった玄関のドアを開けようとする音が家の中に響き、自室にいた凛はいったい何事かと緊張した。
「開けてちょうだい」
母だ!
幸い凛の部屋には照明がなく夜は暗くなるにまかせていたので、とっさに居留守を使うことができた。
虚しい試みによるドアノブの音がしばらくガチャガチャと続いた。
……動く気配……。
今度は玄関脇の窓を開けて何か言っている。
「すぐにピンと来たんだけど、さっきの電話、凛なんでしょう? 救急車呼ばなくて大丈夫なの?」
家の外から中だけに聞こえるような、しかし凛の心の中まで入り込もうかとするような抑えた声に、凛の体が硬直した。
執拗な懐柔が数十分続いた後、母は諦めて帰って行ったらしく家の中に静けさが戻った。

このような「緊急事態」にかこつけた侵入は、以前はともかく別居以来のこととしては初めてだった。
凛は息を殺したまましばらくの間、硬くなった体を暗い部屋に横たえていた。
涙は出なかったが、頭は熱くなり、体は震えた。
「久し振りだとかえって応えるもんだな……」
できれば思い出したくなかったが、この時彼の心に久し振りに蘇った「生きていたくない」という思いこそ、かつて長いこと凛の人生を一色に染め上げていたものだった。

十数年前、絶交状態にあった母のお膳立てにより精神病院への通院を開始した凛は3年後、彼の母には、人の生き方についての柔軟な考え方を受け入れた上で家族関係を修復する意志がないらしいことを面談したカウンセラーに告げられた。
「あの人の視野は今の『世間に恥ずかしくない人であれ』という常識に囚われた状態以上には広がらないでしょう」
仕方なく凛もそれを受け入れ、経済的な援助を受けながらも「他人」として生活することを決意し、通院を止めた。
母の「あなたを捨てる訳ではありません」という皮肉な書き置きを残し、両親はテレビと冷蔵庫を置いて家を出ていった。
手紙を書きたいという母に対し凛は「ペースは半年に一度以下にすること、こちらからの返事は期待しないこと、内容は他家の人間に対する節度を心がけること、自己弁護や彼への干渉に及んだ場合、彼は以降を読まずに破棄すること」を条件に受け入れた。
また、現在の凛は彼らをはじめとする常識人には理解できない生活を送ってはいるが、自分を不幸と思ってはいないことも伝えておいた。
しかし母がこの合意に従ったのは最初のうちだけだった。
その昔も彼女は、自分が完全無欠の母親だという承認を世間に求める一方で、そのために鞭打たれ、倒れた息子が「あなたの望む人間にはなれません」と毅然たる不服従を表明するたびに、不安にかられて今度は息子の承認を求めようと必死にしがみついてきたものだった。
やがて手紙は読むに耐えない自己憐憫、愛情の押し売りと強要に変化し、ある時は物資を送りつけ、またある時は「私が長年愛用したギターをぜひ手元に置いて下さい」などという要求が加わったため、凛は無視していたのだった。
その挙句が今回の奇襲だった。
殻を割ったり外からアジサイの葉を詰め込んだりしても、カタツムリは自由にも幸せにもなりはしない。
凛はそのような事ばかりを彼に対して繰り返し、彼の中にせっかく復活しかけていた平和な家庭の貴重な思い出までをも破壊しつくそうとする母が本当に恐しかった。
また今回の件についても例によって「自分は車で送れと言われたから送っただけ」と事もなげに言うだろう父親の神経も理解できなかった。
「死にかけた俺をあの世から引っぱり戻してくれたのはアンタらじゃない。別の人だったよ」
そう教えてやりたい気がした。

考えたくもなかったが、凛は、嘘や裏切りにもいろいろなタイプがあることについて考えざるを得なかった。
片や子離れできず寂しさに理性を失い、破滅的な行動に走る母。
片やルーズさと保身から自分を窮地に追い込む理事長。
裏切りは相手を怒らせるという意味で多かれ少なかれ破滅的なものだが、それが身に降りかかった時の受け止め方にも両者の間に違いがあるだろうと想像できた。
要するにそれが性格や立場の違いというものなのだろう。
十人十色、裏切りも十色なのであり、凛も今まで人を裏切って生きてきたことに変りはないのだ。
そう思うと凛は、誰も裏切らずにすんでいる今の引きこもりの自分を祝福したくなった。

また凛は母と杉畑理事長をしばらく比較した末、一番大きな違いは承認欲求の強さではないかとも思った。
理事長の承認欲求はそれほど強いものではなく、せいぜい自分と同じくらいではないだろうか。
凛がここ3年間、努力の成果を理事長に認めてもらいたくて創作に力を入れたように、理事長もまた誰か、何かに認めてもらいたくて支援活動をしている可能性もある。
しかしよくも悪くも無欲、マイペースな理事長の様子からはむしろ、彼にとってのセンターは、やはり凛にとっての庭、つまり基本的には他人の評価や承認などとは無関係な世界なのではないかという気がした。

自分と重ねることにより当否はともかく理事長の気持ちを想像できるようになった凛は、理事長には自分と似ている部分もあることに気づきはじめた。

センターと同様にと言うべきか、凛自身をも含む「引きこもり」もまた昔から周囲の批判を受けてきた。
しかしその批判の多くは粗雑としか言えないものだった。
「助けてください」と言えばたたかれ、凛のように「別に助けてくれなくていい」といえば、可愛気のない分余計たたかれた。
要するに批判者の言い分は「オマエらは自分で努力して俺たちと同じになれ」つまり「働け」ということに尽きるらしく、凛がその強制力の根拠を尋ねても回答と呼べるほどの反応は全くなかった。
凛も、自覚のないまま文明社会の家畜になり果てた「人間」をやめ、野生動物として生きることにした。
「生きたいという意欲に応じた生き方をしたいだけ」それが認められない社会の一体どこに復帰すべき余地があるというのか。
『オレの穴の前を舗装してくれなんて頼んでないぞ! 外へ出ろっていうんならオレの歩く場所をなんで残しておいてくれなかったんだ!』
凛こそは、内心そう叫びながら、残飯を漁るために人間の目を盗んで「働らかざる者食うべからず」という交通標語をかかげた夜更けの国道を走る一匹のタヌキだったのではないか。

相互理解を求める不毛さを思い知り無口になってからは、凛が一番多く口にする言葉が「できません」になった。
それが、引きこもり当事者に社会が突きつける「真人間になれ、さもなきゃ死ね」という言葉に対する彼の答えだった。
他の多くの引きこもり当事者とは異なり、彼がことさら決意に満ちたトーンで発する「できません」という言葉は、彼の頑なさの表れと見なされてしばしば「人間たち」の苛立ちを買ったが、彼らは理解していなかった。
凛が「真人間にならない、自殺もしない、それでも生きる」道を自分に認めるほどの「柔軟性」を獲得するには、苛立つ人たち、昔の彼自身のように「しなくてはいけないこと」で頭の中が一杯の人たちには測り知れない苦しい経験の蓄積が必要だったのだ。

杉畑理事長は自分の過去の苦労についてさほど多くを語る人ではない。
しかしこのようなことを考えるうち凛の頭には、冷静さと確信を以てこちらの要求を「できません」と拒絶し続けた彼こそは自分と同じ道を歩み、同じ苦しみを味わった人なのに違いない、という思いが湧いてきたのだった。
それを踏まえて彼は、改めてこの3年間の出来事をふり返ってみた。

他の多くの引きこもり当事者と違って凛には、収入、就職への関心も、将来、老後への不安もなかった。
「人間、死ぬ時は死ぬんだ。自分を偽りながら徒らに人生を長引かせて何になる」
かねがねそう考えていた凛の心に、理事長によって蒔かれた「創作を通じた社会との接点」という夢の種は大きく育ち、理事長によって鮮やかに土へと返されていった。
執念一つにかられて作ったウェブサイトは、いつかと同じまたも自己満足の独り言にしかならなかった。
しかしそのどこが悪かろう。
理事長は別に金をだまし取った訳でもないし、最終的には凛の作品も返してくれたではないか。

そもそも最近の凛は「夢」という言葉が嫌いになってきていた。
元来この言葉自体には何の罪もないが、まるで聞く者の理性を麻痺させるかのようにメディアのあちこちで繰り返される「夢は叶う」という紋切り型の「呪文」にはほとほと辟易していたのだ。
「夢」という言葉で表わされる「イメージ」と「自己実現」とは決して別のものではなく地つづきのはずだ。
だとすれば創造を仕事あるいは生きがいにする者にとって「夢は叶う」という言葉は、彼らの衰弱した想像力がもはや現実を超えるものを生み出せない、という敗北宣言に等しい。
だから夢はあくまで見るものなのだ、もし追うのなら悲愴な表情にならないですむペースでそのプロセスを楽しむがいい。凛は昔からそう考えていた。
だからこそ彼は理事長にさほど傷つけられずに済んだと言えるかも知れないし、むしろその考えが正しいことを改めて理事長に教えられたのかも知れない。

そうだった。所詮夢は夢だったのだ。
それを思い出した今の凛には、この3年間センターから受けた扱いに対する怒りも悲しみも、瘴気よどんだセンターに風穴を開けて活動を健全化してやろうという野望もなかった。
それでは彼の心には何が残ったのだろうか。あるいは何も残らなかったのだろうか。
そんなことはない。
理事長が自ら悪役を演じることによりプレゼントしてくれた思い出があるではないか。
望みが叶わなかった無念さ、望みが叶ってしまった虚しさなどをはるかに超えて、いつまでも心に残る「小説より奇なる」滑稽な冒険とドラマの思い出が……。
冒険、それこそは、ただの貧乏人である自分をユーモアをこめて「乏険家」と呼び、内心胸を張って来た凛にとって、何より素晴らしい送り物に違いなかった。
「みんなのお父さん」と通所者から慕われていた杉畑理事長は、結局のところ誰よりも凛にとってこそ一番の良きオヤジだったのだ。

「……そうだ!」
ふと凛はあることを思いつき、ニヤリと笑った。
「そんなオヤジに対してできるお礼が、今の俺には一つだけあるじゃないか」
それは理事長の庭で枯れつつある一本の植物として最後の一輪を花開かせ、彼の庭の記憶にもドラマを残すことだ。
果してそれにより凛自身が植物から教えてもらったような有意義な発見を理事長に供することができるかどうかはわからなかった。
しかしそれは凛が気を揉むべき問題ではない。
むしろ凛がこれからプレゼントする「やや毒のある花」は、理事長にとって少なくともしばらくの間は苦い思い出になるかもしれなかった。
「でもそれはお互いさまだろう。苦い思い出の幸せの味がわかったら最後にはアンタも今の俺みたいに笑ってくれよな。狸オヤジ」
凛は心の中でそう呟くと起き上ってパソコンを立ち上げ、半年振りにキーボードに向って「引きこもり活動支援センターの実態告発」第3部を打ちながら、結局は12年前に一度しか直接顔を合わせたことのなかった理事長の姿を思い浮かべた。

ふと気づけば、いつの間にか見なれたその面影や声音には、高校時代の数学の教師と世界的に有名なアニメ監督のイメージが混ざっているのだった。




―終―




<この物語はフィクションであり、登場する団体・人物の名称、作品のタイトル、コンセプト等は架空のものです。>    








      4




inserted by FC2 system