狸オヤジへ愛をこめて──50歳・反抗期の終りに──


むすかりんT&S


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その昔あるところに山があって、そのふもとに穴が一つ開いておった。
そして、その穴には一匹の狸が住んでおったと。
あるとき見たこともないような化けもんが穴の外にやって来てな、朝から晩まででっかい音を立てるもんで、狸は食うもんも探せず、しょうことなしに音がやむまで穴の中で待っとったそうじゃ。
ある日やっと静かになったもんで、腹を空かせた狸が穴から外を見ると、辺りいちめん全部灰色の四角い石のようなもんに塗り固められておった。
そして狸がおっかなびっくり住み家から一歩出ようとすると、そばにいた男にこう怒鳴られたんだと。
「おい! その国道を舗装するには建設費がかかってるんだぞ! その上を歩くんだったらおまえも税金を払え!」
「おいら金なんて持ってねえぞ」
「だったら町へ行って肉か毛皮を売って来い。家畜はみんなそうしてるんだ」
「おいら家畜じゃねえや! 野生動物だ!」
「野生動物だと? そんなものとっくの昔に滅びてるんだよ!」




ある早朝、いつもの通り庭の植物を点検し終えた六坂凛が郵便受けを開けると、朝刊の下にA4封筒が入っていた。
彼は近所の手前日中はなるべく庭にも出ず、また夕刊も取っていないため、郵便物は翌日の朝刊と一緒に取り込むのがいつしか習慣になっていた。
「オレなんかに一体誰が何の用だ? 督促状にしちゃ大きいけど……」
その封筒の差し出し人を見て彼は驚いた。
『引きこもり活動支援センター理事長・杉畑岳史』
「ずいぶん久し振りだな。そうか、あれからもう9年になるのか……」

現在47歳の凛が引きこもりはじめたのは約30年前のことだ。今も「無職で対人恐怖症」という彼の状態は変っていない。
しかし彼自身は親や医師やら世間やらに「おまえは引きこもりだ」とこっちへ放り込まれたり「おまえは引きこもりではない」とあっちへつまみ出されたりするうちに、自分が何かなど、もうどうでもよくなっていた。
また「引きこもり活動支援センター」も彼の記憶の中では、そんな流れの中で一年間を費やした一地点に過ぎなくなっていた。

そもそもの出会いはセンターが発行する「こも*リフ」という文通ミニコミ誌だ。
何かの罰として「引きこもり」という札を首にかけられた上に口をふさがれたような心境だった彼は、マスコミにも取り上げられ、書店にも置かれたこのミニコミ紙の表紙にあった「引きこもるあなたの気持ち伝えます」というキャッチコピーにも勇気づけられ投稿した。
その結果何人かの当事者との間に文通が始まったが、しかし引きこもって1O年の間に引きこもった意味について自分なりに考えぬいた彼の意見に対しては、めぼしい反応はなかった。
あるいは「こじれた引きこもり」の意見として無視されただけだったかも知れない。

35歳以上の当事者の会を開催すると聞き、自宅から電車で2時間かかるセンターへ直接行ったこともあったが、5.6人の出席者とは文通同様話がかみ合わずに終り、また2時間電車に揺られた末に駅から自宅までの夜道を歩きながらふと頭に浮かんだのは「行かなきゃよかった」という思いだった。

次々と思い浮かぶのはどちらかといえば苦い記憶ではあったが、それでも彼はこの意外な連絡に喜んだ。
「センターも一応活動してるみたいだし、俺のことなんかも憶えていてくれたんだ」
早速封筒を開けて中身を読んでみると、用件は次の3つだった。

1. 「こも*リフ」に掲載する文章と、センターが開催するという創作展示会に出品する作品の募集
2.過去に「こも*リフ」に発表した文章のネットへの転載の許可を求める要望
3.「こも*リフ」の内容や文通、それに関するセンターの活動についての感想アンケート

また、これらの文書と一緒に「こも*リフ」の最新号も同封されていた。
もはやミニコミ誌というよりは弱小サークルの会報といった感じであり、懐かしいロゴを除けば書店に並んでいた頃の面影はない。
凛は1については二つの作品で応募することにした。「こも*リフ」掲載用には誰に読んでもらう当てもないまま書いた文章があるし、創作展示会出品用には、紙を材料にした工作がある。
これは従来のものに加えて一応彼の発案も取り入れたもので、単なるお世辞の可能性は高いが、数少ない「周囲」の評判も悪くない。

2については何の問題もない。彼はパソコンにもインターネットにも興味がなかった。
だからネット上への転載についても「そちらのよろしいようにどうぞ」という程度の感想しか湧かなかったのだ。

3には以前から疑問に感じていたことを書いた。すなわち
対面的関係への1プロセスとしか考えないというセンターの方針は、文通というもの(ことに引きこもり当事者向けの)に対して後ろ向きではないのか。
文通相手の仲介だけを目的とするのは、雑誌というものに対して後ろ向きではないのか(もし目論見通りに皆が文通相手を見つけられればその時点で廃刊だろう)
「当事者が自から書き、編集し、読む」という、ともすれば読みたいだけの人を「それじゃ自分も何かしなきゃ」と何か宿題でも抱えているような、落ち着かない気分にさせる今のスタイルでは、読者は増えないのではないか。
それらを踏まえた上で、意見や創作発表のウェイトを増やすべく、経験や実力を持ったスタッフを募集して、企画や編集の能力を今よりも充実させた方がよいのではないか。

これらの回答を入れた返信用の封筒を投函した後で、凛は自室に寝転がって天井を見るうち、さらにいろいろなことを思い出していた。
彼がセンターに手記を送ったのは「こも*リフ」に掲載されていた「本にするための原稿を募集します」という広告がきっかけだった。
さいわい彼の手元にはすでに、もし親が耳を傾けてくれれば書かずにすんだであろう思いを、誰に読ませるともなく書き綴った文章があった。
虐待と過干渉の果てに親子関係の崩壊に見舞われた六坂家の黒歴史。
「これを送ってみよう。ひょっとすると採用になるかも知れない」

やがてセンターから彼の手記に対する採用の通知が届いた。
書籍化については出版社も同席の上で編集会議が必要だとのこと、またそれと並行して「こも*リフ」へも連載したいとのことだった。
凛は了承の返事とさらに細かい問い合わせ打ち合わせのため、電話をかけてみた。
「もしもし」
「あー、はい。引きこもり活動支援センター……」
電話口に出たのは意外にも、まるでたった今目が覚めたのか、それともよほど不機嫌なのかと思うような無愛想な声だった。
凛にとってはこれが先述のセンター訪問に先がけた杉畑理事長との出会いだった。
凛は今までに何回か引きこもりであるがゆえに電話で味わった不愉快な出来事を思い出し「またかな」と電話したことを少し後悔した。
しかしこちらが送付した原稿の主であることを告げると、さいわい声は一変して上機嫌そうになった。
(ただし理事長の名誉のためにつけ加えれば、その後何度となく凛がかけることになった電話では、毎回必ず彼が名のる前から比較的明るい声で応対した。)

その後「こも*リフ」への手記の連載は続いたが会議は一向に開かれる様子はなく、あるいは連載が終了し手記の版権が全部センターに移る来年まで書籍化の話は封印されているのではないか、と数か月の間やきもきした挙句、凛は出版企画の進行状況を理事長に電話で聞いてみた。
「丸山書房の方がね、何とも言ってこないんですよ」
「他の執筆者と発売するタイミングを合わせたいんですがね、他の人はやっぱりどうも会議に出て来れないようで……」
「7月になったら会議をしますので、それまでお待ち下さい」
それが理事長の答えだった。

そうか。7月! 具体的な期日が聞けただけでとりあえず一安心した凛だが、一方で慣れない会議や電車での道中を思うと不安も覚えた。
かつて母が勝手に決め、凛の尻を叩いて行かせようとした病院行きの話とは訳が違う。
今回は自分の意思で自分のために行くのだ、そう自分に言い聞かせ気合を入れもした。
しかし待ち望んだ7月が過ぎ、8月になっても会議が開かれることはなかった。
そのうち一体どんな弁解が聞けることかと凛も意地の悪い沈黙を通したが、結局そのまま理事長からは何の連絡もなく、どうやら手記出版の話自体が消滅したようだった。

ちなみに版元であるという大手出版社、丸山書房が凛の問い合わせに対して、担当者不在としつつも説明してくれた感触からは、センターとの共同企画はあるにはあったが「丸山書房」の名前は少なくとも理事長への電話の時点ではどうやらセンターの守秘事項だったのではないか、そう直感的に推測できた。
凛は悪いことをしたのが自分ででもあるかのように、少し落ちつかない気分になった。

結局のところ凛がこの裏切りを許すともなく許せているのは、そのすぐ後で誰かの「本なんて出してもつまんないですよ」という言葉を聞いたからだ。
本を出版するということにつきまとうさまざまな裏の事情や苦労はともかく、それ以前の「人に何かを伝えたい」という情熱がしばしばもたらす徒労感なら凛もまたよく知っていた。

そして凛の手記の連載が終ってしばらくすると、月一回の発行を維持するのも危うげだった「こも*リフ」は書店から消え、センターの消息も不明になってしまった。
「こも*リフ」の内容に対して、つい先ほど書き送ったような懸念をその頃から感じていた凛の感想としては「やっぱりな……」だった。
ともあれ「幻の会議」の一件が、凛にとってその後センターとの間に起きた多くの小さなトラブルに対する免疫になったことは事実だった。

ところで9年後の今、センターは、あるいは理事長は変わったのだろうか。それとも今回も起こるかも知れないトラブルに備えて一応は覚悟しておいた方がいいのだろうか。

そのような不安の一方で凛は、今度の作品発表に対するやりがいを感じはじめてもいた。
「こも*リフ」という雑誌を支える立場だったはずなのに、そのことに対する理解も得られず、またその結果も出せなかったことに挫折を感じて以来、彼は「創作は純粋に自分のための営為、自分のペースでやればいい」と思いながら、ここ数年はその創作からも遠のいていた。
しかし、もし誰かから協力を求められれば、それも義務として押しつけられるのではなく、能力を認められた上で求められればやはり嬉しくないはずはないし「成果を見せなければ」という意欲も湧いてくる。
彼は今回のセンターの提案を、これに近いものと受け取めていた。
「考えてみればこういうのは自分にとって初めての機会かもしれないな」

今回の作品の発表に関してもやはり細かい打ち合わせの必要があると感じ、返信が読まれた頃合いを見はからって凛がセンターに電話をかけた時のことである。
「お忙しいところ恐れ入ります。昔お世話になった六坂です」
「ああ、ハイ、どうも。お久し振りです」
9年振りに聞く理事長の声が明るかったことに凛は安心した。
「先週頂いた質問への回答を一昨日お送りしたんですが……」
と凛が用件を切り出そうとすると、理事長は彼を遮るように言った。
「あー、あれね、中身を面白くしたって読む人増えませんから」
「いえ、今日お電話したのは『こも*リフ』の運営方針についてじゃなくて……」
話が本題に移り、無事に打ち合わせを終えた後も、凛の耳には「こも*リフ」を低迷から反転させたいと先日の文書では述べていた理事長の、諦めきったように投げやりなトーンが残っていた。
「確かにそれじゃ読者も減るだろうな。書き、編集する側が面白いと思う雑誌にしなきゃ、他人だって読む訳がないのに」
そのことを理事長は一体どう思っているのか。
どうやらこの謎に対する答えらしきものが凛にも見えてくるのはしばらく後になるのだった。

それからしばらくの間、凛とセンターの間で郵便による事務連絡のやり取りが交わされることになった。
凛は最初のうちは「手紙」らしきものを心がけて書いたのだが、非肉なことに、理事長からの返信はとても文通をすすめる団体を運営する人物が書いたものとは思えないほど事務一辺倒なものだったので、自然と彼の手紙からも、時候の挨拶や相手をねぎらう言葉が消えた。
よほど忙しいのだろうか、それともいわゆる「心のこもった手紙」というものに偽善的な匂いでも感じているのだろうか。
そうだとすれば、過去の人間関係の記憶を重荷のように引きずっている凛にも、その気持ちは少し理解できないこともない。
それでも彼自身がいざ便箋を前にすると「心のこもった」手紙を書こうとするのは、なにより相手の機嫌を損ねるのを恐れるからでしかなかった。
彼はときどきそんな臆病な自分が嫌になることもあった。
「嫌われても平気なんて、こういう強い人が羨ましいよ」

それはともかく、センターには手紙で何かを問い合わせても、そもそも返事自体がこないことも多く、そのような時にはこちらから苦手な電話もかけねばならなかった。

凛がセンターに発表を依頼した作品のうち紙工作はユニット折り紙による多面体だった。
この折り紙工作は、彼の手元にある作品をすぐに送ればすむことだった。
創作展示会では、作者が希望すれば作品の販売もするということだったが、凛は自分の作品について、販売を希望しない旨をはっきり伝えた。

いっぽう文章のものは「蝸牛園通信」という生活エッセイであり、こちらは凛が送った手書きの原稿をセンター側が入力しなければならないため、そう簡単ではなかった。
かつての凛の手記を含め「こも*リフ」掲載の文章には誤入力がしばしば見られたが、センターはそれに対する訂正要求は一切無視する方針のようだったことを凛は思い出した。

「自分で校正したいので、恐れ入りますがゲラを送っていただけますか?」
「え? ゲラって何?」
「あのー、原稿をプリントしたものを……」
「ああ、はいはい。お送りします」
理事長との電話でのこんなやり取りの後で、凛は首をかしげたこともあった。
杉畑理事長は確かその昔、出版社で雑誌の編集をしていたはずである。
「校正用の試刷を確かゲラっていうんじゃなかったっけ」
しかしいつどこで覚えたかも判らない言葉でもあり、本当に正しい意味を理解しているかと言われたら凛にも自信はない。
「まさか杉畑理事長が『ゲラ』を知らないはずはないよな。俺の使い方が間違っていたんだろう。今度ちゃんと意味を調べなきゃ……」

それはさておき、凛が自から申し出たこの校正は彼が覚悟していた以上に難航した。
訂正箇所を調べ上げてセンターに報告すると、訂正されたプリントが再び送られて来るのだが、原稿全部の入力をやり直しでもしたのか、前回はなかったミスがいくつか発生していることもあった。
また、首を長くして待ったプリントが訂正箇所を指摘する前と全く同じだったこともあった。
この時は凛が電話で報告したので、さいわい理事長の謝罪の言葉が聞けた。
理事長も謝ることが全くない訳ではないと判って彼は、なぜか「わずかに誇りに近い安心」を覚えた。

ある時「ここで」とあるべき部分が「22で」とプリントされていたので訂正箇所に指定して丁寧に書き直して送ったところ、次に送られて来たプリントでは「二二で」になっていた。
「悪筆で悪かったな。でも前後の文脈で判りそうなもんじゃないか」と凛は苦笑したが、さすがにここまでくると何者かの故意を疑いたくなるのも確かだった。
(この時もさすがにあるまじきミスと思ったか、手紙で理事長は謝罪した)

「こも*リフ」の編集もそうだったが、センターでは通所利用者も文章入力などの作業に参加しているのだ。
理事長がそれら当事者を優先的に登用しているらしいことは「こも*リフ」掲載の彼の文章からなんとなく判っていた。
しかし凛には彼らが本当にやりたくてその仕事をやっているとは思えなかった。
無職であることを責める有形無形のプレッシャーから逃れるために、仕方なく興味も意欲も湧かない仕事をさせられているのかも知れない。
それがもし昔の自分だったらと思うと、凛には彼らの仕事ぶりを責める気も起きなかった。

やがていつの間にかセンターからの連絡は、冊子制作の経過報告に変っていた。
理由は不明ながら「こも*リフ」への連載は中止ということらしかった。

センターでは当事者から募った原稿を元に自ら製本した、遠足のしおりのような冊子にISBNコードも入れ、仰々しく「書籍」と呼んでいたが、その割には作者との間には版権契約も結ばなかった。
「俺のエッセイもあの『書籍』になるのか」
凛は嬉しさよりは、収入目当てに下手な文章まで売ろうとする「なりふり構わぬ感」をさらされるような恥ずかしさを感じたが、この時は特に抗議もしなかった。
ただ、「これで創作展開催の間にあうのだろうか」という心配や、価格もセンターが勝手に決定して、こちらには報告もしてこないのではないかという不安は凛の頭をよぎった。

原稿不足に悩んでいるという「こも*リフ」に掲載するための作品を、という当初の目的のために凛は急遽 「ジャワの仏教遺跡と日本の相撲の土俵の起源の関連について」という研究レポートを送った。
当面は創作展の準備で忙しいだろうこともあり、掲載はいつでもよかった。






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