狸オヤジへ愛をこめて──50歳・反抗期の終りに──


むすかりんT&S


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賭けは当たってパソコン購入から5か月後、凛は市の施設の展示スペースで、かねてイメージした通りの新しいユニット折り紙の作品を展示することができた。
無料で無審査だったが、普段は作品の公開を考えたことのない彼にも、それなりの到達感や緊張感を味わうことはできた。
もちろん彼はこれを踏み台により高みへと昇るつもりだった。
目指すはパートナーにも利益をもたらす創作、実業として胸を張れる創作だ。

またふと気づけば、パソコンを避難所にしていた彼には、それまで使いなれたワープロ専用機とのあまりの勝手の違いに早々と諦めかけた「Word」も何とか使えるようになっていた。

凛の心を瓦礫の荒野から救ってくれるはずの「引きこもり活動支援センター」からは、相変らず創作展示会と「あすなろ雑貨」への作品募集の知らせが送られてきた。
彼はユニット折り紙作品のデザインがパソコン導入により飛躍的に広がったことを伝え、「センターが料金を前払いしない限り売るための作品は作れない」という彼の立場を繰り返し説明した。

その他、この後しばらくの間に凛とセンターとの間にはいくつかのやり取りがあった。

1.ユニット折り紙作品Aの「あすなろ雑貨」からの削除依頼。
2.理事長が二つ返事で送ると約束した「こも*リフ」掲載中止の研究レポートの冊子が一向に送られて来ないことについて。
3.創作展示会の際に作品に添えて貼り出してもらうために送った文章について。
これは商品化してくれる事業者を想定しての作品の説明と依頼だったのだが、なぜか肝心の会場での貼り出しから展示会終了後発行の「こも*リフ」に掲載という扱いに変更された上、その文章も数か所を無断で理事長により変更されており、中でも珍妙なのは「ホログラム」という単語が一体何と間違えたのか「ポリグラム」となっていたのだ。

凛のこれらの問い合わせに対し、理事長は例のごとく迷言を連発した。

1の今まですでに3回にわたって繰り返さねばならなかった販売拒否に対する回答は「見本であればこのままこちらにおいておく意味もないのでお返ししようかと思います」というものだった。
凛はこの回答に「あんまりうるさいこと言うとお前の作品は展示会に出さないぞ」という理事長の脅しの匂いを感じとったが、彼にとってAの作品は何としても返して欲しい物だった。
彼はやむを得ず再びAとBの違いを説明し、Bは「あすなろ雑貨」の商品の見本だからこそセンターに置かねば意味がないことを説明し、その上で 「創作展を『販売を希望する作品しか展示しない』という方針に変更したのであれば、お手数ですがご提案の通り全作品の返送をお願いします」と書き送った。
やがて理事長から送られて来たのは「工作品は、AとBの区別をするのが、私の手元を離れたときにはできないと予測します。それで、ともかく売らないことにして置いておきます」という返事だった。
この謎めいた返事を何度も読むうちに凛には「センターでは作品AとBを分けて保管していないのではないか、またできる時にそれをしないところをみると、恐らくAとBの区別はもはや理事長自身にもできなくなっているのではないか」と想像できた。

2の件について理事長からはまず「あれは放置した状態です」との返事が送られてきた。
この事もなげなトーンに苛立ちを感じた凛がさらに「読者に対してはどのような説明がされているのでしょうか、また作者の私に対して報告も謝罪もない理由はなんでしょうか」と問いただすと 「作ったのは読者の分だけで、六坂さんにはもう送ったとばかり思っていましたが……(作者註:以上で終り)」 という返事が帰ってきた。
凛はこの回答に不可解を感じるよりもむしろ、不意を衝かれた理事長の狼狽、混迷ぶりが如実にうかがえる気がした。
よほど急いで言い訳を考えたに違いない。いったいどれが本当なのか。
放置したのか、最初から読者の分だけと決めて作ったのか、作者の分も作ったのに送るのを忘れたのか。
確かめようもないが、おそらく放置したという最初の言葉が事実だろう。
とすれば他の読者の元にも送られていないのだろうが、考えてみればどうせ現在の「こも*リフ」はほとんど読まれておらず、雑誌としての発信力など無に等しいのだ。
執筆者と発行人、ひきこもり当事者と支援団体の信義という問題にさえ目をつぶれば、凛にとって「どうでもよいこと」かも知れなかった。
「面白くしたって読む人増えませんから」と吐き捨てた理事長も、あるいはそう思っているのかも知れなかった。

3についての理事長の弁明は「素材の名称をどう表記するかという問題については難しいことでしょうが……(作者註:以下は無関係の話題)」 というものだった。
これではまるで「口のまわりに餡をベタベタつけながら、ボタ餅泥棒の正体に首をかしげてみせる腐れダヌキ」みたいじゃないかと凛は思った。
もっとも「こも*リフ」には重大なミスの場合以外は謝罪も訂正記事も載らないので、今さら凛が何を申し入れようが手遅れだった。
またそもそも「こも*リフ」読者と同様、創作展示会の観覧者もごくわずかったことを考えれば、この件について腹を立てること自体がバカバカしいことかも知れなかった。

ちなみにこの直後「こも*リフ」はメディアに取り上げられた華々しい書店デビューから、内容の劣化と読者、投稿者の減少の悪循環の11年を経て、100号を目前に事実上廃刊となるのだった。

ある時凛は一軒のクラフトショップに作品を持参し、ユニット折り紙のキットを商品化してもらえるかどうかたずねた。
長髪の男性店員兼講師は考え込みながら「僕の勘では……これはウチに来るお客さんには、売れないと思いますねえ」と申し訳なさそうに答えた。
凛がふだん自分の作品を人に見せないのは、お世辞の安売りを聞かされるのが嫌だったからだ。
それを聞くたびに彼は「あなたがこんな物を作っているのはホメられたいからでしょ。だったらいくらでもホメてあげますよ」と侮辱されたような気がした。
あるいは「自分は親切な人」という自己満足に酔うきっかけを、作品を見せることによって施し与えているのは彼の方かも知れなかった。
また世間ではそういう関係をもまた「絆」と呼ぶらしいことを彼は知っていた。
だから凛はこの、いわゆるオネエ系と思われる店員兼講師の辛口の批評と誠実な眼差しには心を打たれ、内心深く感謝したのだった。
「そうか。作品に対する本当の感想を聞きたければ『ビジネスパートナーになって下さい』と頼めばいいんだ」

デザインにパソコンを使った折り紙作品を作るためには、印刷会社へ行く必要があった。
凛が3社目に訪ねた店は、彼が料金を聞くと相場の半分以下の金額を提示した。
彼が念を押すと
「その料金で構いませんよ。ウチの赤字にはなりませんし。部数も少部数のご注文から承ります。そもそもオンデマンド印刷はそういうものですから」
と担当者は説明した。
彼は本当にその料金でいいのならと念を押した上で、その印刷店に通い始めた。
しかし次第にその店は彼に対し不愉快な態度を取るようになり、受付の中年女性の表情はまるで「フライドチキンの骨を一本投げてやったら、どこまでもついてくる犬」を見るような苦笑いに変った。
さらにしばらくすると「実は今の料金ではこちらの赤字になっておりまして……」という不要な前置きの後で値上げを切り出された。
彼は「たかり」か「物ごい」の扱いを受けた気がしてその店へ行くのをやめた。
そして彼の要望を無視し続けるセンターへも、果して値上げの報告を送るべきかを考えた。

凛が一ヶ月分の生活費に近い料金を払った特許相談所では、実物を見てもらいながらの説明を聞いた後で何の根拠も示さずに
「こういうのはもうあるんじゃないですかね」と繰り返すだけだった弁理士は、
「このアイデアだけでは知的財産として法的に保護するには弱いということですか?」と凛が聞くと
「そうですね」と答えた。

ある時凛がわけもなくふと思い出したのは「『人間、何か一つは取り柄がある』とはよく言われるが、一つしか取り柄のない者は『他に取り柄がない』という理由で、しばしばそのたった一つの取り柄さえ認めてもらえない」という誰かの言葉だった。

凛はもともと交渉が上手とは言えない上に、最近では身なりも貧しげだったし、口を大きく開けば上の前歯が3本抜けているのがばれてしまうことを引け目に感じて、よけい交渉事がおっくうになっていた。
「アイデアと情熱なら持っているんだけどな」
彼のような人間を支援してくれる団体、いや「支援してくれるはずの団体」なら彼は一つ知ってはいた。
しかしその団体と彼の間に今まで起きたこと、これから起るかも知れないことをひとしきり考えると彼の口から一つ、大きなため息が漏れた。

凛は折り紙工作用紙の手軽なデザイン法に関する本の出版も考えて原稿を作った。
説明書のように味気ない工作本が嫌いな彼は、彼の望む「ものの作り方を模索する興奮を読者と共有できる本」を出してくれそうな出版社を一つ選んで送ったが、結果は不採用だった。
本にしたい原稿を募集し、出版社に紹介してくれる「出版エージェント」は、ネット上でしか申し込みを受けつけていなかった。
彼は考えた。あるいはセンターに依頼したら、出版エージェントへの申し込み手続きを仲介してくれるだろうか。
「っていうかセンターが出版エージェントもやってくれれば早いんだけど……」

また、センターはこの頃「あすなろ雑貨」とは別に「遠隔地の当事者が企画したネットショップの通所者による運営」という活動の開始を告知、希望者を募集していた。
なぜか「あすなろ雑貨」から締め出されている彼の商品すなわち作品Bも、このルートでなら売ってもらえるのだろうか。
ある日彼は、これらの疑問を理事長に電話で尋ねてみた。

「でもね、そういう金もうけには協力したくないという意見もこっちでは出ていますからね」
「え? 引きこもり当事者の収入につながる活動を支援するのがセンターの活動目標じゃないんですか?」
「だからそれはこちらでももう何度も話し合ったことですけど、結論は同じです。たとえセンターの目標であってもパソコンの担当者が『これは興味がない、自信がない』と言えばそれ以上強制できません。「イヤだ」という人に強制しないのがウチの方針です」
「でも、スタッフがセンターの活動目標に従わないというのはおかしくありませんか?」
「うちにはスタッフというのはいません。いるとしたら私一人という事になるでしょうね」
「そうなんですか?……だったらそろそろ雇いませんか?」
「だからそれはお金がないんですって。誰がそんな金出してくれるの?」
「『東京都NPOサポートセンター』という所が今、無料で集中講習・相談会をやっているそうですがね。相談してみたらいかがでしょうか?」
「やっててもねぇ、ウチにはそういう所行く人誰もいませんから」
「そうですか……ところで『プロボノ』はご存知ですか?」
「は? プロ……?」
「プロ野球の『プロ』、ボクシングの『ボ』にノルウェーの『ノ』です。企業や団体が社会貢献事業として派遣してくれる専門家です。無報酬でサポートしてくれるらしいですよ」
「はー、なるほど。そうですか。調べておきます。でもねえ……あまりそういう几帳面な人がウチに来てもね、面倒見切れないんですよ」
「面倒見切れない?」
「ええ。そういう人がウチに来て『さあ、何をどうすればいいですか?』って僕に聞かれても、ウチはゴチャゴチャしていて、何をどうしてもらえばいいのか僕にも解りませんから。 僕自身にだって、朝来てもどのパソコンが動くのかも判らないくらいで……へへ」
「はぁー」
「ウチは昔からゴチャゴチャです。だから今までやって来れた」
「その結果センターの活動はどうなっていますか?」
「いえ、別にどうなってもいないですよ。盛り上がってもいなければ、廃れてもいませんから、これからもスタイルを変えるつもりはありません」

電話を切った後、凛は考え込んだ。
「センターにスタッフがいない」という事実を明確な言葉として聞いたのは凛にとってはこれが初めてなのだが、だとすれば彼が理事長との間に結んだ「個人情報や著作物を外部の人間に開示しない」という約束は一体何だったのか。
また「金もうけには協力しない」というのは「担当者」の意思なのか、それとも理事長の意思なのか。
もし支援するもしないも通所利用者でしかない「担当者」の胸一つで決まるというのが現在のセンターの状況だとすれば、それは一部の通所利用者にセンターをパソコンごと乗っ取られているのと一体どう違うのだろうか。

いずれにせよセンターには「支援すべき金もうけ」と「支援すべきでない金もうけ」とを分ける基準があることになる。
凛はふと、通所者による『シュピシュナ式108種セット・アロマ療法体験講座』や 『話し相手になります。1回千円』といった業務がセンターの「当事者の仕事サイト」に並んでいるのを思い出した。

「俺が『実業』をあきらめて『バクシーシ』に甘んじれば、センターはサイトを作ってくれるのか」
凛は頭にふと浮かんだ疑問と迷いをすぐに打ち消した。
まず危険が多すぎる。パソコンに弱く何をするかもわからない理事長を通じて、彼の作品発表への協力を拒否し続けたという入力担当者(しかもセンターに通所するのは月に2回)との共同作業を行なうのは自殺行為に等しかった。
それに、自分が納得できない作品を売って、創作者としての矜持や自制が欠落した人間と思われ、笑われるだろうことも、やはり彼には耐え難かった。

凛は「今後、私の冊子については『この作品の売り上げは全額センターの活動に役立てられます』という広告を『あすなろ雑貨』のサイト上に掲載、展示会場に掲示の上、実際そのようにお役立て下さるよう ただし売上げについては必ずご報告下さるよう、よろしくお願いします」と書き送った。
もちろん「この時点では」理事長からの返事はなかった。

ある日、図書館でパソコン関係の本をめくっていた凛は、ホームページ作成用のフリーソフトというものがあることを知った。
ネットを通じてそれらを無料でダウンロードできるとしても、今までの彼には無関係な話だった。
しかしセンターが彼のウェブサイトを作ってくれないのなら、彼が自分で作るしかない。
出来上がったデータはUSBメモリーでセンターに送りアップロードしてもらえばいい。
パソコン担当者の無関心をたてにした理事長にも、今度は断る理由は何もないはずだ。
「回りくどいけど今のところ他に方法はないし……何とかしてホームページ作成ソフトを手に入れたいな」
そう思いながら彼は2階のネット検索用パソコンで、さっき本で見た「alphaEDIT」というソフトの頒布サイトにアクセスしてみた。
手続きは簡単そうである。欲しい物はすぐ目の前にある。
しかし残念ながら図書館のパソコンでできるのはここまでだった。
「そうだ。 これもセンターに頼んでダウンロードしてUSBメモリーで送ってもらおう」

「いいですよ。今月中にお送りしましょう」
電話での凛の提案に対する理事長の返事は好意的なものだったが、センターとのつき合いが長い凛には「今月中」という言葉が素直に信用できなかったので
「今ダウンロードして頂くことはできませんか?」
と食い下ったが、理事長の返事は変らなかった。
凛は営業マンにでもなったつもりで、さらにしつこく交渉を試みた。
「ためしにサイトを見るだけ見て頂く訳には行きませんかねぇ? 本当に簡単だと思うんですが」
しかし理事長も頑なに断った。
「いえ、もう少し待って下さい。簡単、簡単っていうけどできない人にはできないですよ」
凛は理事長の最後の言葉に少し反省した。その言葉は自分も今までに何回となく使ってきたものだった。

最悪の場合また企画は自然消滅かと覚悟していた凛の元に送られて来たのは、電話からほんの4日後だった。
担当者を緊急召集でもしたのか、あるいは理事長みずから何とかダウンロードしてくれたのだろうか、それを思うと彼の心にちらりと感謝と罪責感が湧いた。
しかし次の日そのUSBメモリーは、彼の作成した文章や画像ではなく、次の文書を入れてセンターにとんぼ返りで返送されることになった。
「この『alphaEDIT』をインストールすると『クラスが登録されていないので使えない』とメッセージが出ました。
私のパソコンのOSはWindows7です。お送り頂いたものはWindows7でも使える最新バージョンでしょうか?」

5日後に届いたこれに対する理事長の返事は
「『alphaEDIT』というソフトはWindows7では使えないものだそうです」
というものだった。

しかし凛が直感的に不審に思い、念のため図書館のネット端末で調べると、やはりこの情報が事実と違うことがすぐに判明した。
決して「使えない」訳ではなく「DhtmlEd」というフリーソフトをインストールすれば、Windows7でも「alphaEDIT」はちゃんと使えるというのだ。
センターからの情報が故意の嘘か怠慢の結果かは凛には判らなかったが、いずれにせよ切実な目標を持つ彼にとってそれを怒る必要はなかった。
「この企画を成し遂げるためなら図書館通いなんか俺にとって何の苦にもならない。センターにもできる『支援』をしてもらうまで粘り強く交渉するだけだ」
理事長への次の手紙で凛は「DhtmlEd」についてだけ淡々と説明し、再びUSBメモリーの送付を依頼、さらに5日後やっとのことで「DhtmlEd」と「alphaEDIT」を手に入れたのだった。

ここ二週間を振り返って、彼は一息つきながら思った。
自分もこの一件については、努めて冷静かつ簡潔な連絡を心がけたが、あの理事長という人も、電話でも手紙でもほとんど常に冷静だ。
しかしさすがに今回は面倒なことを頼まれた挙句に恥もかいて、内心は腹が立っているのではないだろうか。
それを思うと彼は少し不安だった。
手数をかけた感謝や罪責感は嘘をつかれたことでかすんでしまったようだった。

苦労して手に入れた「alphaEDIT」を自室のパソコンにインストールした直後、凛のパソコンに異変が起きた。
ふと見ると、デスクトップ上のアイコンが全部ウィンドウズメディアセンターへと変わってしまっているのだった。
またタスクバーやツールバーを見ても同様で、ほとんどのソフト、プログラムがメディアセンターに変わっていた。
試しに他の全てのソフト、ファイル、どれをクリックしても、起動するのは実際メディアセンターだった。
このパソコンを使ってできることといえば、もはやツールバーにマウスオーバーして時計を見ることぐらいではないか。
「Word」も画像作成ソフトも起動できないということは、苦労の結晶である作品を今後編集することはもちろん、発表も不可能となるということではないか。
事態の重大さをようやく飲み込んだ凛は、ゾッとした。
「大変だ! やられた!」

凛は至急杉畑理事長に電話をかけ、状況を説明した。しかし交わされたのは片やただならぬ事態に平常心を失い、片やその事態の深刻さを理解できないパソコン音痴同士の埒の開かない会話だった。
「これはウィルスじゃないんですか? そちらの内部の人物が関っている可能性はないんですか?」
「そんなもの作る能力ある人ウチにはいませんよ。きっと何かにまぎれこんでウチのパソコンに入ってたのが、今回そちらへもまぎれ込んで行ったんでしょうね」
「そちらのパソコンになぜウィルスが入ってるんですか」
「さあ、判りません」
「今回の件について責任は取って頂けるんですか?」
「責任って? 何をどうして欲しいワケ?」
「まず今後このようなことが起きないように最大限の努力をして頂けますか?」
「ああ、その答えなら簡単ですね。できません!」
全く想定外の回答に凛は返す言葉を失った。
シタタカな狸だ。一本とられたな。
「それはセンターの公式見解ですか?」
「ええ、そうですよ」
「わかりました。失礼します」
というなんとも歯切れの悪いやり取りの挙句に、凛も結局は電話を切るしかなかった。

「その症状はウィルスじゃありませんね。パソコンはデリケートな機械ですから、何かがきっかけで不調になることはよくあります」
「まあ、フリーソフトっていうもの自体リスクがあるものと思って下さい」
電話の翌日、相談に行ったパソコンクリニックの店員がそう説明してくれるのを聞き、凛はひとまず胸をなで下ろした。
「それにしても、全部のプログラムの関連づけがメディアセンターに書き換えられちゃうっていうのはちょっとねえ……」
そう言って店員は最後に首をかしげたが、これでどうやらセンターの故意、悪意は断定できないことが判った。
幸い一晩がかりのリカバリーによってパソコンは無事に復帰したが、いくつかの大切なファイルは失われ、ソフトの再インストールには、今どきネットにもケータイにも関わろうとせず、ダイヤル電話機しか持たぬ凛にとって、うんざりするような手間が必要だった。

さらに数日後、凛はセンターに手紙を書いた。
主用件は「残念ながら今回の企画を白紙に戻させて頂きます」という連絡だが、一応のけじめに彼が電話で理事長に対して談判調で詰問したことについての謝罪も加えておいた。
「電話の非礼は電話でわびるのが筋というものかも知れないけど、まあこれでいいだろう」
センターの悪意は断定できないとは言え、彼の中では疑いが完全に払拭された訳ではなかったし、一件についての理事長の対応振りも納得行くものとは思えなかったのだ。
ちなみに「センターのパソコンにウィルスが入っていた」という理事長の言葉には、何の根拠もないだろう。
パソコンを駆使して支援活動をするというセンターには、できることならパソコンクリニック並みの知識や技術を身につけて欲しいものだが……。
それにしても、一体なぜ理事長は専問スタッフを雇うことをあれほど頑なに拒むのだろうか。

凛は、隣町の図書館で杉畑理事長の著書「親と子で模索するひきこもり脱出」という本を読んでみた。
「創作活動を支援する者は、作者の思いを置き去りにして先走らないよう心がけねばなりません」という一行には驚き、苦笑するしかなかったが、その他にもこの本には「これが杜撰で無責任としか思えないあの人と本当に同一人物なのだろうか」と驚かされるほど、概ねいいことが書いてあった。
センターにはぜひ「引引支援」「ワンマン運営」を解消し、この本通りの理念の下の活動に成功して欲しい。
活動の大部分は専門的な知識、技術を持ったスタッフにまかせて自分は総監督としてドーンと控えながら、大好きな講演や執筆の合間に奥で通所利用者の話し相手でもしていればいいではないか。
そうして活動の実積を上げれば理事長も正当に評価されるし、彼自身にとってもよほどやり甲斐を感じられる活動になるのではないだろうか。

凛に一筋の光明を見せてくれた突破口は再び閉ざされた。
しかし「作品発表の場を!」という凛の執念はまだ出口を求めて渦巻いていた。
自分に投資してくれる「誰か」にも利益が出るのでなければ創作活動など虚しいだけであり、センターがその「誰か」ではないことが判った今、もう彼に創作の必要はないのだという事実など、執念一つに衝き動かされる彼には見えなくなっていた。

ふと凛の頭に「たとえネットショップは無理でも、自分でウェブサイトを運営できないものだろうか」という疑問が湧いた。
それまでネットに疎い凛の耳にも自然と情報は入ってきてはいた。たとえば多くの人は今やスマホでネットを見ているらしいこと。
ということはスマホをパソコンに接続できれば凛の部屋でも回線工事なしでネット環境ができるのではないだろうか。
発端はそのような疑問だった。
彼は図書館へ通い、彼の頭に浮かんだアイデアが「テザリング」と呼ばれるものであること、またそれよりも「モバイルルーター」というものを使いさえすれば今のままで自室でのネット生活は即実現することを知った。

あと必要なものはサイト作成の知識だけだ。
メディアセンダーの記憶がいわゆるトラウマになっている彼は、素朴なものでもいいからHTMLの初歩から身につけ手打ちでサイトを作れるだろうかと思った。
図書館のパソコン参考書は古いものばかりだが、隣町も含めハシゴをすれば何とかなりそうだ。
その後一日考えた末、ついに凛は「よし、やってみよう」と自分とは無縁だったはずのネットデビューの決意を固めたのだった。

凛は、今後はセンターの支援を受けずにウェブサイトを作り、運営しようと思うことを杉畑理事長にも連絡した。
「ああ、そうですか」
と理事長も明るい声で報告を聞いていた。
和やかなやり取りの後に凛が意を決して、重い話題を切り出した。
「という訳で一昨年にお送りした例の折り紙工作の作品を返送して頂きたいんですが……。ホームページ用の写真を撮る都合もありますので」
「ああ……」
「お願いしますよ。僕は今までにもう何度も販売をお断りしてきたはず……」
埋事長が久し振りに不機嫌な声になったかと思ったら、凛の言葉の途中で電話は切れた。

数日後に作品は無事返送されて来た。
「よかった! ついに取り戻せた!」
一時は頼めば頼むほどあるいは理事長の態度も硬化し、返される可能性が低くなるのではないかと凛が恐れていた作品たちだった。
紛失したのか、誰かの私物になったのか、それともいつの間にか売れたのか、パソコンを使った作品3つは含まれていなかったが、それらはB、つまり複製できるものであり、凛にとっては大した損害ではなかった。
ちなみに、この後「あすなろ雑貨」自体がなくなるまで、そのサイト上には彼が作ったこの「存在しない商品」が掲載され続けた。

「細かいことをいちいち気にしていたらあの団体との交渉はキリがないぞ。まったく、支援を受けるのも楽じゃなかったな」
しかし「こも*リフ」はすでに廃刊、ささやかな「実業」の夢は拒否され、折り紙作品は無事奪還、ウェブサイトは自作と決定した今、やっとセンターと凛の長い関係は終わろうとしていた。
もちろん彼の心の中には安堵ばかりではなく、名残り惜しさや心細さもあった。
そんな彼を救うように、ウェブサイト制作のため図書館の本とパソコンに向かう生活が待っていた。

その頃センターでは不首尾が続く創作展示会を6回目にして廃止、活動方針をコミティアへの参加出店に切りかえようとしていた。

そんなある日凛は自転車で買い物に出かけ、住宅地の交差点で車にはねられた。






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