──寺田敦夫短編集・個人製作版──








      目次


  シュンジ号壊れる                       #1

  やがて哀しき宇宙人──見えない鎧と銀色の皮膚──       #2

  花吹雪                            #3







  シュンジ号壊れる


 ある昼下がり、その箱は突然やって来た。
「シュンジ、ちょっと来てごらん」
 いつになく嬉しそうな母の声に、何事かと階下へ降りてみると、上がり框に今届いたばかりの段ボール箱があった。だが母の笑顔からはまだその箱の中身が私にとっていいものか、イヤなものか読み取れなかった。
「何? これ」
「あなたの仕事よ」
「仕事?」
「言ったじゃないの、この間。うちでできる簡単な仕事ならやってもいいって」
「ああ……、で何なのこれ?」
「ほら、これ読んで」
 母から受け取ったチラシらしき紙には『働く喜びが自宅で手軽に!』の字が踊っていた。
 箱の中身はどうやら小型ミシンのような機械らしい。そうか、母は私に、これで内職をしろというのだ。
 寝耳に水、まさに奇襲戦法だ。
 仕方なく私は続きを読んでみた。『外出、人間関係が苦手なあなた、労働に意義が見出せないあなた、会社に就職するばかりが仕事ではありません……』。 どうやら表現は遠回しではあるが、引きこもりの若者を当て込んだ新手のビジネスらしい。まったく呆れるというか感心するというか。
 しかし私は不思議なことに気づいた。どこを読んでもそれが何を作る機械なのかを書いてないのだ。
『一日短時間ハンドルを回すだけ』で収入になるという。私はその会社に疑わしい匂いを感じた。
「これいくらなの?」
「十七万八千円」
「エーツ! 何で相談しないんだよ」
「あんたに相談したって、なんだかんだ言って断わるだけじゃないの」
 ダメだ。会社の信頼性を問題にしても、母には私が怠けたくてこの期に及んでなんだかんだ言っているだけにしか取られないだろう。
 まあ、怠けたいのも事実だけど。
 私の頭に不安が膨らむ間にも、母は待ちきれない様子で梱包を解き、機械を取り出そうとした。しかし、それは嵩の割に重くて持ち上がらなかった。
「部屋で出そう。オレが運ぶよ」
「そうね、ハイハイ」
 その箱は私にも結構重かった。しかも母が変なところで箱を切ったために、余計運びにくい。階段を上りながら我々親子は、再び声を高くして詰り合った。
 なんとか部屋に運び、中身を取り出したところで、私はまた驚かされた。機械の胴体にこれ見よがしに「SHUNJI」と刻まれていたのだ。
「ちょっと、これ……」
 私は再びチラシをチェックした。『今なら三千円でネームをサービス』。先ほど見て失笑を覚えた箇所だ。
「何でネームなんか入れさせるんだよ」
「その機械あんたの分身じゃないの。働く自分に誇りを持てるようにって、ね? そういうことになら、親はお金なんかいくらでも出すんだから。あなたも心を入れ替えてちょうだいよ、ホントに……」
 何が誇りだ。これじゃまるで嫌がらせじゃないか。
「こっ恥ずかしい」
「恥ずかしいのはこっちの方よ! 近所の人に会うたびに何て言われると思ってんの?『息さんは? 息子さんは?』って、みんな腹の底じゃ笑ってるわよ」
 だんだん母の声はドスが利いてきた。
「あんたねえ、働いてないってどういうことか自分で解ってんの? あんた普通じゃないのよ! 人間じゃないの!」
 怒鳴り終えると母は荒々しくドアを閉め、階下へと降りていった。
 やがて夕食に降りた時には、私が
「いま取説読んでるよ。明日から始めるかな」というと
「そう」と母は機嫌を取り戻した。
 九時には取説を読み終わり、おもしろい番組もないので、私はゲームに向った。こうして心おきなくプレイできるのも今日まで。明日から私は「何か」に縛られる。 連続してあの機械のハンドルを回せるのは数時間だというから、ゲームをする時間は減りはしない。
 しかし私は明日から「縛られる」。
 画面の中の分身が滑るように飛翔しながら、次々と降り注ぐ障害物を蹴散らすのを見るうち私は、自分の表情が和らいでいるのを覚えた。
 そして、ふと頭に浮かんだ「あーあ、ゲームみたいにおもしろい仕事がありゃなあ」という本音の身もフタもなさと、うっかりそう口を滑らせた時の母の顔を想ってさらにニヤリとした。
 しかし逆に言えば、どうして仕事ってヤツはゲームみたいに楽しくないんだろう。努力があり報酬がある。そこまでは同じだというのに。
 もし仕事が人を幸せにするためにあるというのなら、私はむしろ仕事によって失われる幸せの方を取る。みんなこれら二つの幸せの質と量を計り比べた上で、自分の意志で選択しているのか。 自分にその自由があることを、果たして自覚しているのか。これは本当は大切な問題ではないのだろうか。
 画面の中の月面のような荒野や、緑色の金属に覆われた大地と一緒にいろいろな考えが流れ、説明書が頭の中に残したもやもやを流していった。
 とその時、母がドアを開けて覗き込み、機嫌のよさそうな声をかけてきた。
「どう?」
「はぁ?」
「ゲームなのね」
 一転、穏やかながら不気味に低くなった母の声に、頭の毛穴がチリチリと緊張した。
 母の降りていった後、私はゲームを中止し、なぜか音をたてぬようそっと機械の前に移動するとハンドルを回してみた。
「ガラ…ガラ…ガラ」と重い手応えがあった。

 次の日の午前中から、私と機械との格闘が始まった。
 機械は似たものを思いつく限りで挙げるなら、形といい重さといい、ちょうどミシンを前に倒したような代物だが、外側には動く部分がなく、上部に水平方向に回転するハンドルがついている。 かき氷でも作るようにそのハンドルを回すと、その回数がメーターに記録される。 メーターはカセットになっていて、月に一回取り外し、会社へ送り返すと、働きに応じて「給料」が振り込まれるのだ。
 何の役に立つ機会なのかは相変わらずわからない。その代りに分かったのは、ハンドルの操作が意外に難しいことだ。
 ハンドルは指でつまめるほどの大きさしかなく、内部で何か重いものが四角く動いているらしく妙な慣性が働くのだ。
 そのリズムに合わせて回転させないと、すぐにすっぽ抜けて暴走したハンドルに指がはじかれる。ハンドルを指でしっかりつまもうとすれば、すぐ隣の突出部分との間に指を挟まれる。
 日頃ゲームで鍛えた私の親指の爪が痛み出し、中指の皮が剥けるのにさほど時間はかからなかった。
 そろそろ昼食かという時間に私がキッチンに降りると、野菜を炒めていた母が振り向いて尋ねた。
「どう? 簡単だったでしょ」
「いやー、あの機械の設計したヤツの顔見てみたいね」
 私は母に手を見せ、事情を説明した。
「何よ、別になんともなっちゃいないじゃない」
「イテッ、何すんだよ」
「働く人の手っていうのはね、そういうものなのよ」
「あんなの仕事じゃないよ。何にも生産していないじゃないか」
「生産? 生意気なこと言ってんじゃないの。仕事っていうのはあなた自身のためにするものじゃないの。人が人であるために労働は絶対必要なんだから」
 母の訓話を聞きながら昼食を食べ終えた私は自室に戻り、ゲームをしながら考えた。
 母はああ言うが、同じハンドルを回すのならせめて、何かを作ったという実感が欲しい。コーヒーでも、擂りゴマでも、納豆でもいい。
 そんなことを言えば母は待っていましたとばかりに、じゃさっさと納豆屋さんに就職しなさい、というだろう。 それも困るな。要するに私は自分が納豆を食べたい時にしか、グルグルかき回したくないのだ。
 でも本来、仕事ってそういうものじゃないか。
 作業の合間に時折、静まりかえったテレビのブラウン管に映った自分と目が合う。背を丸めて何の役にも立たない機械と向き合うみじめったらしさ。あんなところは絶対人に見られたくない……。
 あれ? そういえば納豆屋さんは納豆かき回さないな。フフ……。

 指を庇いながらのゲームは惨憺たるプレイで、私は早々にスイッチを切った。
 この機械の構造にだんだん興味を覚え始めた私は、午後の作業を終えた後、分厚い金属の外装版の、ちょうど「SHUNJl」というネームの下に開いた指一本分ほどの隙間から内部を覗きながら、ハンドルをゆっくり動かしてみた。
  メーターにつながる精巧な機械がガチャガチャと動く様子はやはりミシンに似ている。
 なぜ何の役にも立たない機械にこんな複雑な構造を与える必要があるのだろうか。もともとまったく別の目的で作られた機械が、何かの事情で販売できなくなってしまった挙句の苦肉の産物か、あるいは……。
 しげしげと眺めるうちに私はふと、ある可能性に気づいた。
 これはひょっとすると、どこかの天才による非常にユニークな発明かも知れない。つまりこれは労働者そのものを作り出す機械なのだ。 内部の機構とそれを垣間見せる隙間からは、『おまえの行為の目的や価値は、おまえ自身には理解できないのだ』という、労働者順化の思想が伝わってくる。
 思えば、操作しにくいのもワザとそのように設計されているのかも知れない。
『非常に精密な機械です。乱暴に操作しないで下さい』とか『あまり長時間操作すると破損の恐れがあります』などという、こちらの不安と当惑をかき立てるような注意書きも、要するに『おまえの体に害のない働き方はおまえ自身の体で覚えろということなのだ。
 これが本当に、労働者製造機なのだとすると「自分を労働者にすること」が私の仕事ということになる。
 合わせ鏡のような虚像の循環に目がくらんだ。

 あの機械が我が家に来てからというもの、目に見えてストレスが増えた。
母と顔を合わせる度に口論となり、その合間にハンドルを回す。
 父はといえば夜、職場から帰宅するなり母に尻を叩かれて、いちおう私に叱言を言うが、それは決して「お前のせいで、おちおちくつろぐことも出来ない」という恨み言の域を出るものではない。
 こういう人は、いじめられて泣いている子供を見たら「うるさい、迷惑だ」と叱って、いじめた方の子供は不問に付すだろう。
 母も父が本当は何にいら立っているかなんか気にしない。母にとって父は単に、私に圧力を加えるための機械なのだ。
 そんな日々が続くうち、両親が嫌いになり、機械が嫌いになる。何よりも自分が嫌いになってくる。
 また何が辛いといって、日毎に増す指の痛みのせいで、ゲームが全くできなくなったのが辛かった。
 我慢してプレイすれば、習練の賜物であるコントロール技術をすっかり失ってしまった自分に愕然とする。私の分身たちは飛来する敵を避けきれず無様に衝突、次々と飛び散ってゆく。
 あっという間にゲームオーバーという、あり得ない屈辱。沸き起ってくる怒りを一体何にぶつけたらいいのか。
 作業を終えた私が、
「あーあ、イヤだイヤだ。指を痛めるための専用の機械がある生活ってのは」と皮肉たっぷりに言えば
「大変ね、あんたはゲームもしなくちゃならないしね」と母も負けてはいない。
「もうゲームなんて、1日に3分だってできやしないよ」
「そう、よかったじゃない。ゲームなんかしなくっても生きていけることがよくわかったでしょ」
「言っとくけど、オレの指は辛いことだけをするためにあるんじゃないからね。だいたい人を動かすにはほら、アメとムチっていうだろう?  ゲームができないんだったら、あの機械の方もどうしようかな」
「まさかあんた、もうやめるなんて言い出すんじゃないでしょうね。せめて元は取ってちょうだいよね。こっちは高いカネ払ってんだから」
「元取ったらやめていい?」
「じょ──だんじゃない」
「だってオレ、別に金なんていらないもん」
「だったら私に寄越しなさい。あんたの生活費にするから。ブラブラしないで自分の生活費ぐらい自分で稼ぐのよ。大人なんだから」
 あのとき私は母に反論できなかったが、納得した訳ではもちろんない。水掛け論を恐れて母の前で飲み込んだ言葉は、部屋に寝転がり、風を入れるために開けた窓から、歪んだ四角の空を見上げると、形を得てあふれ出すのだった。
 人間っていったい何のために生まれ、生きるんだろう。金を稼ぐため? 親は、人間は、金を貸しつけて金利を取るために子どもを生むのか?  労働しなけりゃ人間じゃないなんて、いったい誰が決めた? みんな? じゃあ、その「みんな」の中に私は入っているのか? ……ほら見ろ!「みんな」なんていうのは卑怯者が少数派を潰すためにでっち上げた看板じやないか。
 働きたい人はいくらでも働けばいい。その代わり私のように「貧乏でもいい。のんびり生きたい」という者はどうかほっといて欲しい。怠け者にムチを振るわずにはいられないのは、ホントは自分も働くのがイヤだからだろう。
 そんなことをしたって就労競争が激化して、損するのはかえって自分たちの方じゃないのか? 
 私の想いは、誰にも気づかれぬ風船のように、さらに空高く上がって行く。
 観念の世界にしか存在しない幻を自分の主人に祀り上げ、自からはその家畜へと進化を遂げた人類という生き物の中にあって、私という個体は先祖帰りした少数派なんじゃないだろうか。だとすれば、淘汰される運命は避けられないのだろう。
 私のような存在を駆除した後、みんなが仲良く生きられるというなら、百歩譲ってそれでよしとしよう。私が言うべきことは何もない。 しかし、現実はそうではあるまい。幻に帰依する競争に負けた者たちを踏みにじりながら、家畜への進化はこれからも暴走し続けるのだ。私が消された後、次に踏みにじられるのは自分かも知れないというのに、みんな、それでいいんだろうか? 
 それにしても、あーあ、ゲームやりてーなあ。
 私と母の我慢がいよいよ限界を越える時がきたのは、作業を終えた私が、会社から送られてきた新品と交換するために、それまでの回転数が記録されをメーターのカセットを外し階下へ持っていった日のことだった。
 一息つこうとミルクを飲み始めた私の背後で、母が不意に叫んだ。
「何よこれ! え? 全然回ってないじゃないの、メーター!」
「回ってるよ」
「こんなんじゃ、恥ずかしくて送り返せやしないし、だいいちいつまで経ったって元なんか取れやしないじゃない!」
「だからぁー、それはね、誰がやっても同じようなものなの」
「嘘つきなさい。あんたブラブラしてばっかじゃないの、え? 他の人はみんな一日中働いているわよ!」
「一日中あんなバカな機械のハンドル回してるヤツなんかいる訳ないだろ!」
「そんなこと言ったって、あんたがそれしかできない人間なんだからしょうがないでしょ」
「ちゃんと取説に書いてあんだよ! 数時間以上回したら壊れるって!」
「そうやって自分に都合のいいことばかり言って! どうせあんた仕事するフリしてゲームばかりやって遊び呆けてたんでしょうよ! そんなにイヤなら止めちまえ! ぐうたら!」
「やりゃいいんだろ!」
 飲みかけのミルクごとコップを床に叩きつけて割ると私は、母がテーブルに放り出したカセットを掻っ攫い、自室へと駆け上った。
 そして母にも立てられないような爆発音が響くようにドアを閉めた。
「見てろよ!」
 私はまず、母が目の敵にしているゲーム機を振り上げると、テレビの角に一撃し、畳の上に放り出した。そして一目で使用不能とわかるそれに目で別れを告げた。
 さようなら、私の分身。これは私が家畜になるための小さな自殺なのだ。
 そして私は作業席につき、カセットを再装着した機械のハンドルを回し始めた。母よ、笑いを忘れ、働くためだけに生き長らえる機械になり下がった息子を見て、明日からはせいぜい喜ぶがいい。
 ハンドルを力任せに回すと、中で生き物が暴れているような反抗的な手応えはすぐに消え、それまでは起きなかった回転運動への慣性がみるみる加速をつけ始めた。 なんだ、自転車と同じじゃないか。最初からこうすればよかったのだ。なるほど『タテマエ通りに仕事をするな』という訳か。突っ走れ!シュンジ号! 母にぐうの音も出なくなる数字を突きつけてやるのだ。
 やがて私の額には汗が浮かび、不思議なことと爽快感すら湧いてきた。あれほど鬱陶しかった指の痛みもなぜか感じない。
 そうか、これが働く喜びというものか。よし、本日第二の教訓は『仕事のストレスは仕事で解消しろ』だ。
 しかし数分後に異変は起きた。「カラララララ」という軽快な音が「ガッ!ガリッ!ガリッ!ガガガガガガッ」と変ったので、スピードを落とさねばと思いながら、機械を覗き込んだその瞬間、「バキーン」と唸りを上げて鋭くねじ曲った金属片が隙間から私の顔目がけて飛んで来たのだ。
 殴られたようにのけ反りながら上半身を捩じると、私は畳に手をついた。呻き声が漏れる。
 ふと、右手の上になにかが落ちるのを感じて私は目を開けた。血だ。また一滴。傷は左の眉のわずか下だ。直撃は辛うじて逃れたものの、瞼越しに撃たれた眼球の痛みもただごとではなかった。 私は「っつーッ!」と歯の間から息を吐き出した。
 やがて異常を察して上がって来た母も、さすがにショックを受けたのか、この時ばかりは言葉もなく、ムスッとした様子ながらも機械にカバーをかけることで、 私にこれ以上労働を強制する意志がないことを示すのが精一杯のようだった。母の沈黙に満足した私は心の中で叫んだ。
「ざまあみろ! 機械はぶっ壊れた。オレは怪我はしたが、まだ生きている。この勝負オレの勝ちだ」
 容赦なく滴り、畳を汚す血を受け止めるため、咄嗟に私はそばにあった紙に手を伸ばした。それは機械の説明書だった。

 あれからひと月余りになるが、私の左の瞼についた傷はまだ消えない。疲れた時など不自然な二重になって見苦しいが、今の穏やかな生活を勝ち取るための戦いで得た勲章、ということにしておこう。
 父はもちろん母も愛想が尽きたのか、もう何も言わない。私はゲームなき今、右上の角が欠けたテレビで、大して面白くもない番組を見るだけだ。
 それにしてもゲームはよかった。私の分身が与えてくれた報酬は達成感や充実感、それに美的快感、だから努力も純粋なものだった。 だが今のところ、私にゲームを再開する意志はない。 新たにゲームを買って母の冷たい視線を背にプレイしをところで、借りでも作っているようでどうせ落ちつかないに決まっている。 そのうち金もエネルギーも使わないゲームなんていうのが見つかれば、私も夢中になるだろう。
 ところで今日、意外な発見があった。押入れの奥に壊れたアイツがあったのだ。使い途も決まっていない金を求める努力を強制する下品な「吸血」調教機械。 母がさっさと送り返しも捨てもせずに、罠でも仕掛けるみたいにあれを仕舞い込んだのは、一体なぜだろう。 そんな疑問も浮かんだが、そんなこと怖くて聞けやしない。こちらも気づかなかった振りを続けよう。
 そのうち母自身も「SHUNJl」の存在を忘れてくれるに違いない。

(終)
(Special thanks to"ZANAC")





  やがて哀しき宇宙人──見えない鎧と銀色の皮膚──


 駅前の本屋で立ち読みをしていたら、不意に肩をたたかれた。振り向くと丸顔に無精髭の、胡散臭いが人なつっこいあの顔があった。
「社長!どこ行ってたんですか」
「ま、立ち話も何だろ? ハンバーガーおごるけど、行かない?」
「え、いいっスねー行きましょ行きましょ」
 私は社長の後について店を出た。我々が知り合ったのは約四年前、ある劇団のシニアクラスのオーディションがきっかけだった。
 仲良く落っこちたアラフォー男六人が意気投合し、酒の勢いも手伝って「オレたちで会社を作ろう」ということになったのだ。
 と言っても社員はみんなあくまでも役者のつもりでいるから、フツーの仕事をする会社ではない。 その時、歳が一番上だし、映画に出て台詞をもらったこともあるというので一目置かれ、まとめ役を押しつけられたのが、この社長だった。
 ところがその二年後には私は、ある急な用事で両親に呼ばれ、会社の方は一時休職し、郷里に戻らざるを得なくなった。 やっと先月になってこちらへ戻り、会社の事務所があるマンションへ復帰を伝えに行くと、部屋はすでに人手に渡っていた、という訳だ。
 ハンバーガー屋で社長と窓際の席に陣取ると、私は気になっていた事を尋ねた。

「その後どうなりました? 宇宙人の方」
「ああ、あれはおしまい」
「やめちゃったんですか」
「うん。やっぱダメだね。ちっとも儲かんない」
「アタリマエですよー、そりゃ。で、みんなは今何やってんですか?」
「橋本はスーパー、宍倉と箕浦は警備会社、葉山は、ええと、居酒屋かな」
「バラバラかぁー。何か寂しいなあ」
「ま、あいつらの籍まだウチにあるし、オマエもさ、よほど困ったらまた一緒に仕事考えようよ」
「でも社長はいいですよねー、何せ俳優ですから」
「俳優ったって、昨日なんかケータイ屋の前で、一日中熊の着ぐるみだよ」
「熊だったら社長、素でも十分行けるのに、またカブリモノとは、よっぽど縁があるんですねぇー」
「バカ言ってくれるなよ」

 私が「またカブリモノ」と言ったのは、次のような事情があるからだった。
 会社は作ったものの、さて何をしようかと悩んでいた我々に、銀色のボディスーツ二着と一緒に、社長がどこからか持ってきたのが「宇宙人派遣サービス」 という活動の話だった。社員はこのボディスーツを着てマスクをかぶり、宇宙人になり切って依頼者宅を訪問するのである。顧客は引きこもりの青少年だという。 最初、我々にはピンと来なかった。
「へえー、そういうの好きな子って、引きこもりに多いんですか?」
「多いんじゃないの、ほら、UFOおたくとか」
「ホントかよ」
「でも純真な若者をダマすっていうのはなんか……ねえ」
「ちがうよ、別にダマしゃしないって」
 社長の説明によればこうだ。
 もちろん彼らも、我々を本物の宇宙人と思う訳ではない。 ただ、引きこもりの若者たちは、対人関係に強い不安を抱える一方で、寂しかり屋の一面もあわせ持っている。 そんな彼らにとっては、人間に似て人間でない、髪型や服装といった社会的記号を一切帯びない存在、何もしゃべらず、側にいてくれるだけの宇宙人が理想の友達なのだ。
 現に社長の彼女、村上さんが所属している引きこもり支援団体も、このような活動に意義を認め、双方の仲介と料金の一部負担を申し出てくれたのだという。
「いい話じゃないすか」
「才能が活かせて人の役にも立てる、と」
「でも宇宙人って、どんな感じなのかな」
「さぁー、オレは会ったことないしね」
「アタリマエだよ」
 そこで我々は、村上さんに引きこもり者への事前アンケートに基いたアドバイスを仰ぐことにした。
 村上さんは「それほど多くの人が回答を寄せてくれた訳ではないんですが」と断りながら、いろんな事を教えてくれた。

「まず絶対にしゃべらないようにしてください。意志表示は静かにうなづいたり、首を横に振ったりする程度です。 話し相手になってあげようとか、何か役に立ってあげようと気を利かせたりしない方が、かえっていいようです。ひとことで言うと、か弱くて、寂しそうな感じですね。 ウルトラマンのように頼り甲斐あるっていうんじゃダメで、むしろ見知らぬ星で迷子になってるような、守ってあげたくなる感じ?」

「距離は、最初からあまり近づかないように。近づきたいんだけど、ちょっとためらってる感じを意識において演じてください。たいてい気を許せば相手の方から近づいてきますね」

「咳、くしゃみ、あくびなどの生理現象は、我慢してください。完全にというのは無理でしょうけど、できるだけ。向こうの目から見れば『あ、人間が皮かぶってるだけなんだ』って、いっぺんに冷めてしまいますから。 みなさん役者ですから、そのへんはぬかりないと思いますけど、大丈夫ですよ…ね」

「それから、やや性的ともとれるスキンシップを求めてくる場合もあります。一説によれば一部の引きこもり者は、ゲイでなくても自己性欲的な傾向が強くなっているとも言われてますから、 たぶん、宇宙人に自分の体の分身のイメージを求めているんでしょうね。まあ、できるだけ受けとめてあげて、でもあんまり目に余る場合は身振りでやんわりと拒絶してください」

「そのほかの禁止事項ですか? そうですねー、これはあくまで個人的な意見で、他の人にも当てはまるかどうかは判らないんですけど『発泡酒を飲まない』とか『スニーカーは履かない』というのがありましたね。 たぶんこれも生理現象と同じで、あんまり人間臭いところは見たくない、っていう気持ちでしょうね。 だとすると、スニーカー以外の履き物も要注意かも知れません。以前にも『玄関に知らない人の靴があると怖い』っていう声を聞いたことありますから。
 ところで皆さんはマスクをかぶって演じるんですよね? だったら発泡酒の件は問題ありませんね。 ホントは一緒に何か食べたり飲んだりするっていうのは、心を開きやすくする上で理想的なシチュエーションかなっていう気もするんですけど、マスクの上からじゃ無理だし……」

 おかげで宇宙人のイメージがかなり見えてきた。キャラクターの細かい部分については想像で補いながら、 様々な状況を想定しつつみんなで入念に稽古を重ねた。「役者としては今一つ演じ甲斐がない」などと生意気を言い出す者もいたが、なんとか納得の行く演技にこぎつけた我々は、ついに「星の友達(星トモ)プロジェクト」活動開始を高らかに宣言したのだった。
 本当にこれで仕事になるのか、正直なところ不安を感じていた我々は、意外に早く最初の「倉ちゃん」(我々の専問用語でクライアントを指す)が現れたので、驚き、かつ大喜びした。
 特製銀色スリッパ(宇宙人=来客=スリッパという論理に基づく社長の発案)をはいた宇宙人第一号は、こうして社員一同の期待を背負って送迎車に乗り込んだのだった。 さあ、結果はいかに。
「おーう、お帰り。どうだった?」
帰ってきた宇宙人は待ってましたとばかりにみんなに取り囲まれた。
「それがさぁー、あのクライアントこの寒い中、暖房もつけずに部屋の隅でじっと膝抱えてるだけなんだもん。 向こうはジャンパー着てっからいいよ、こっちは寒いわ、ヒマだわ。 離れたところで同じカッコでこうー膝抱えて、オレいったいなんでここに呼ばれてんだろうなー、って」
「ハハハハ」
「そのうち、あんまり寒いもんでオレ、ついうっかりクシャミしちゃってさぁ。 アレ、まーずかったなと思って様子見たらさぁ、うつむいて肩ヒクヒク震わせてんじゃない。 こいつ人の気も知らないで、何がおかしくて笑ってんだよと思ったらさあ」
「思ったら?」
「それが彼笑ってんじゃなくてさぁ、泣いてんのよ……」
「……なんで?」
「さあー、わかんない」
「ふーん……」
「やっぱ冷めちゃったんじゃない?」
「あー」
「……そうか。倉ちゃん泣かすにゃ刃物は要らぬ、か」
「クシャミーつですぐホロリ、ですか?」
「泣かしてどうすんだよ」
「社長が言い出したんでしょ。あーあ、オレ悪いことしちゃったかな」
「ま、過ぎたことはしょうがないよ。これから気をつけよう。みんなもさ、続けてりゃ感謝される日がそのうちきっと来るから、な」

 とまあ出だしこそパッとしなかったが、その後すぐ第二の依頼があり、我々の期待は再び盛り上がった。
して、宇宙人第二号の報告は……。

「いやー、何ですか。あのクライアントは」
「何かあった?」
「そりゃ最初のうちはおとなしかったですよ。で、だんだんなついてきて向こうもいろいろ話しかけて来たんで、 これはいい展開だぞと思ってたら、そのうちテンション上がってきて、ドツキ漫才みたいに頭たたいたりさぁ、下半身なでてきたり」
「ああ、例のスキンシップね」
「うん、だからオレもここだと思ってしばらく耐えてから、いかにも恥じらってるって感じで拒絶したんだけどさ、やめないんだよコイツが。 もう面白がっちゃって、追いかけ回して触るんだぜ」
「ッハハ、オマエ逃げ回ったの?」
「だってしょうがないじゃん。追いかけてくるんだもん。テーブルの回りグルグル」
「ハハハハハハ」
「しまいにさ、『いい加減にしろ』って言おうとして、マスクを脱ぎかけた途端、今度は向こうが『ウヮーツ、やめろーっ』って、外へ飛び出して行っちゃって、 こっちは宇宙人のまんまで追いかけるわけにもいかないし、そのまま部屋にいたけど結局、時間きても帰ってこなかったけどね」
「アッハハハハハ」
「でもよ、倉ちゃんがそれだけ気安くなったってことはさ、オマエの演技がよかった証拠だろ」
「そうだよ、このモジモジ星人!」
「何だよそれ……あっ、そうそう、それでその倉ちゃんさあ、あわてて逃げるときにオレのスリッパ履いてっちゃったんだよ」
「えーっ! あの宇宙スリッパ?」
「たしか高かったんだよな、あれ」
「もちろん回収するよ」
「倉ちゃんの引きこもりも、あれで治っちゃうといいんだけどね」
「うーん」

とやはり第一号同様パッとしなかったのだが、
「始めのうちはこんなもんだろ」
「そうそう、こういう経験の蓄積かいずれノウハウになるんだって」
「オレたちは何たってパイオニアだもんな」
と反省会(つまり飲んでひとしきり騒ぐこと)さえすれば、次の日からまた持ち前の脳天気に戻れるのが我々の強みだ。
 何はともあれ、早くも次の依頼が来ていることだし。つまりいよいよ宇宙人第三号、即ち私の出番が回って来たのだ。
 いろいろ聞かされたせいで多少は緊張したが、普段の稽古の見せ所と思って、ある昼下がりに私は依頼者の住むマンションの一室を訪れたのだった。
「よーお、来たね」
 と人相はよくないが気さくな感じの男がにこやかに出迎えた。歳は私と大して違わず、まあ三十代半ばぐらいだろうか。いずれにせよ若者とは見えない。
「まあ、遠慮しないで上がって上がって。ゴメンな。いまパン食い終るから。オマエ来たら一緒に食おうかと思ってたんだけど、な、ホラ、そうもいかないんだもんな。 帰るときに好きなの持ってけよ。そうだ、パンより伊予柑がいいかな」
 先に廊下を歩きながら、リラックスしきった様子で一方的にしゃべる男の軽さに、私は内心ホッとしながらも、それとは裏腹にセオリー通りの不安げな態度で男につき従った。さいわい暖房も利いているようだ。
「最近はさぁ、昼飯にこんなもんばっか食べてんだ。料理するのもなんか面倒でな、あ、ソファに座れよ。遠慮しないでな。地球にようこそ」
 しゃべりながら男は、何がおかしいのか時おりヒャッヒャッと甲高く笑う。
「さぁーてと、じゃ、テレビでも見るかな。今日はこの星どうなってるの? と」
 パンを食べ終えキッチンから居間に入ってきた男は、そう言いながらテレビをつけたものの、腕組みをしてカーペットに置いた新聞にうつむき込むと、テレビ欄をブツブツ声に出して拾い読んだ。
「ふーん、騒動渦中のアイドル、号泣の理由か」
「レスリー・ニールセンってどんな女優だっけ?」
「松雪泰子と松下由紀って別人だよな?」
しばらくの間私は、男のこんな問いかけにもちろん答える訳でもなく、といって無視するでもなく、ただ犬か猫のようにきょとんとして見せるだけでよかった。
 助かった。こういう依頼人なら少なくとも退屈はせずに済みそうだ、と気が大きくなった私はここで役者としてあるまじきミスを犯してしまった。 膝の横が痒くなったので無意識のうちに、ついシャツか何かのように「皮膚」をつまんで引っ張った指で掻いてしまったのだ。男の目は視野の端で、しかし自分の顔のすぐ横で、私の手の動きをしっかり捉えていた。
「おい、こっちも努力してんだぜ。それを台無しにするようなことするなよな」
 それまでとは別人のような低く厳しい声に、私の背筋はその日初めて緊張に固まった。
 そうか、迂闊だった。芝居をしているのは私だけではなかったのだ。ストレスなど全然感じないアホのように見えても、実は意外にデリケートな男なのだろう。それを知った上で思い出せば、男の先ほどまでのはしゃぎ振りにも哀しいものが見えてくる。悪いことしたな……。
 しかし有難いことに男はその後、何もなかったかのように元の機嫌に戻ってくれた。いつしかニュース番組に変わり、慌ただしく事件、事故を報じるテレビに相変らずヒャッヒャッと笑う。
 自分の住む世界を知ろうと電気箱を覗き込めば、目に映るのはイヤな出来事ばかり、そんな毎日に男はやけっぱちの高笑いで耐え、正気を保っているのだろう。
 耳に入るのがテレビの声ばっかりという生活は確かによくないな、と私は思った。でもそんな生活を彼があえて選んでいるのは、周りにいる生身の人間からも結局は安らぎを得られなかったからかも知れない。
 男がときおり、さり気なく立ち上がってはキッチンへ行くのに気づいた私は、横目でそっと窺ってみた。すると男はウィスキーをグラスにちびっと注いでは、薬を飲むような顔つきで飲んでいるのだった。そのせいかニュースが終り、バラエティー番組が始まる頃には男はさらに上機嫌となり、私の肩に腕を回しては芸人の悪ふざけにツッコミを入れたり、笑い転げたりした。
 そして何度目かのCMに入ったとき、私の顔を覗き込み、
「どーしたの? あんまり面白くないの? ん? じゃホラ、来なよ」とまず自分が立ち上がり、私にも促した。私がおどおど棒立ちになると
「ふーん、宇宙人だねえ、こりゃ本物だよ。この体型」 と私を上から下までじろじろ見ながら、体のあちこちをピタピタ叩き、男は私の後ろへ回った。
 そろそろ尻でも撫でられるのかと観念した途端、私の体はガクンと前にズッコケた。膝カックンが見事に決まったのだ。コイツ……。
 男は身を捩ってひときわ高らかに笑い転げた。
「ウッヒャッヒャッヒャッ……ごめんごめん、ムッとしたか? 抱っこしてやるから怒らないでね。ホラ、だっこ、だぁーっこ」 と今度は、私の胴体を抱き抱えるとそのまま持ち上げ、その場でグルグルと回転した。男はフラフラした足取りでなすがままの私に冷汗をかかせたが、無事ソファの上に着地してくれた。
「はぁーあ、おっかしなヤツだよな、お前は、え? まあ、落ちつけって」
 むしろこちらが言いたいことを男は言い、私にもたれかかってきた。弾んだ息に、力の抜けた笑いが混じる。
「な?……お前ここに来てよかっただろ。ここは……この星で一番いい所なんだぜ……。ホント、一番だよ……」
 そんなことをつぶやきながらぐったりとなり、ついに男は私の胸で眠ってしまった。と思ったら、しばらくして情ない声でこんなことを言い出した。
「もうイヤなんだよ。男も女も、大人も子どもも、外人も日本人も。みんなみんなイヤでしょうがないんだよ。オレ。お前はずっとここにいてくれるよな?」
 これは寝言だろうか、それとも今日一番の彼の本音だろうか、と考えているうち、こんな私にさえ、確かにそんな気持ちになった瞬間が、今までに何回かはあったような気がしてきた。
 つけっ放しのテレビを見るともなく見ながら、私はいつしかいたわるように彼の肩を抱いていた。
 私の胸を安息のよりどころに寝息を立てている者がいとおしくないはずがあろうか。 たとえそれがむさ苦しいオッサンであっても。
 しかし勘違いはするまい。彼は私にではなく、この銀色の皮膚に話しかけていたのだ。 もしどこか別の場所で会っていたなら、彼も常識を弁まえた大人として、歳相応の威圧感やよそよそしさを感じさせたことだろう。 彼をして見えない鎧を脱ぎ捨て、子どもに還らせるのはひとえにこの銀色の皮膚の魔力なのだ。あの酒ですら私には単に、酔っ払いのように振舞うために彼が必要とした「自分への口実」に思えてならない。
 やがて男は契約時間が終る間際になって目をさますと、
「ゴメンなぁー。せっかく来てもらったのに、あれ? なんで眠るかなー、ちっきしょー、もったいないことしたぜ」 とまだ眠そうにボヤきながら、あたふたと菓子パンやら果物をポリ袋に入れ始めた。
 いよいよ別れ際に私が「コレ、モラッテイイノ?」という体で、手渡された袋と男の顔を見比べると
「ああ、遠慮しないで持ってけよ。縁があったらまた会おうぜ。あ、そうそう、捕まって解剖されないように気をつけろよ。ヒャッヤャッヒャッ」 と笑った。
 しかしこれはきついジョークだ。私はこれから彼の好きな宇宙人を解剖させに事務所に帰らなくてはならないのだ。
 サヨウナラ。マタイツカ、イノチヲフキコマレタラアイニクルヨ。私は手のひらを顔の横まで挙げると、銀色の皮膚に男への別れを告げさせた。 (宇宙人はお辞儀はしないのだ)

 という訳でこのケースは、ひょっとすると我が社一番の成功例ではないかと担当した私自身、密かに自負している。
しかしそれだけに私には解らなくなってしまったのだ。 この活動自体は立派な仕事だし、やり甲斐もある。引きこもりに限らず、現代社会の人間関係に疲れた多くの人が、私が演じたような宇宙人を待っていそうな気もする。
 しかし果たして私のような者に、この仕事を続ける資格や能力があるのだろうか。鎧を脱ぎ捨てた裸の心を受け止めるのは結構力のいる仕事だ。 いい加減な気持ちで臨めばこちらも支えきれなくなることもあるだろう。
 私が実家から呼び出されたのは、ちょうどそんな悩みを抱えていた頃だった。
両親が車で追突され怪我したというのだ。 さいわい二人とも軽症で済み、わりあい元気で自宅療養中だった。
「いい仕事は見つかったのか」などと聞かれながら両親の日常生活を介助する日々は、私にとっても考えをまとめるいい機会になったと思う。せっかく出来るところまで宇宙人を演じ読けてみよう、という結論を胸にこちらに帰って来たのに、肝心の仕事の方が消滅してしまったとは何とも残念だ。
 聞けば私の休職中にも、お客からの出張依頼は途切れず続いていたのだという。 ただ依頼人の要望に応えて希望の体型を指定してもらうシステムを取り入れてから、社員のうち筋肉質の二人は「お茶引き」状態となり、給料に差がついてしまったのだ。この二人は、体型が隠せる動物の着ぐるみを着て依頼人を訪問する「森の友達コース」の新設を提案したが、その場合、依頼人の大部分を女性が占めるだろうという村上さんの指摘を受けて会議した結果、女性一人の部屋に男性社員が出張するいというのはやはりマズイのではないか、という理由で採用を見合わされたという。 しかし無期休業の最大の理由は、先ほど社長も言っていた通り「儲からなかった」つまり、それでは生活していけないという明快な一点にあった。

 ハンバーガーも食べ終え、ふと思い出した何事かに最後のコーヒーを慌てて飲み下させながら、社長が言った。
「そうそう、お前に知らせておきたいことがあったんだ。お前が担当したあのクライアントさ、ウチが休業するって噂に聞いて電話かけてきたんだよ。 で、何かと思ったら、あの銀色のボディースーツ安く売ってくれないか、なんて言うのよ。だから二着とも売っちゃった」
 そうか、あの男が……。私の頭はふくれあがった想像でいっぱいになった。
 今でもあの部屋にこもって生活しているだろう彼が、我々の使っていたあのボディースーツに、いったいどんな使い途を見出したというのか。 まさか当時の我々と同じ年齢になった彼が、我々が遂げられなかった仕事を引き継いでくれている訳でもあるまい。
 ー着は自分で着るとしても、もう一着は? 着てくれる人を自分で探したのでは何の意味もなくなる。とすればやはり、彼にとってそれは夢を見るためにこそどうしても必要なのだ。 ひょっとすると彼が眠っている間にどこかの人間嫌いの寂しがり屋が彼の部屋を訪れ、銀色の皮膚を着て彼が目覚めるのを寄り添いながら待っていてくれはしないだろうか、という哀しい夢を。
 私は記憶の中のおどけた中年男に語りかけた。ユメノナカデアオウネ、チキュウノトモダチ。そのときには憶えてろよ、膝カックンをお見舞いしてやるからな。

(終)





  花吹雪


 ここに来るのはいったい何度目になるだろう。目に入るものといえばまず、和紙のように薄い雲に覆われて白く光る空と、その下であちらこちらに満開の桜を眠そうににじませた町だけ。
 ときおり散った花びらがそれほど強くもないはずの風にあおられて、こんな上空にまで舞い込んで来る。桜の香りを期待して胸いっぱいに大気を吸いこめば、なによりその暖かさがうれしい。ここは私だけの秘密の場所だ。
 あちこちでデパートやスーパーが次々と消えてゆく中、そんな時世を憂う新しい物嫌いな男を勇気づけるように、ここだけは相変らず残ってくれている。しかもこの世知辛い今どき屋上遊園でくつろげるスーパーなんて、他のどの町にあるだろうか。
 だから私はこの町に来たら、買い物がなくてもこのスーパーの屋上に寄ることに決めている。 私以外の買い物客はといえば、毎年恒例の賑わいを見せる桜の下へと心急ぐのか、この屋上を訪れる人はほとんどない。でも、いろんな意味で酔っ払いが嫌いな私に言わせれば、桜は屋上から見下ろすに限る。 もしもこのスーパーがそれを知っていて屋上駐車場という時流にかなった選択を頑として拒んでいるのだとしたら、なかなか粋じゃないか。
 桜色ににじんだ下界を見下ろしながら私は思った。ここは別世界……タイムマシンなんていらないな。そういえば、私がここへ来るのは決まってこの季節だ。
 私の他には、隣のベンチに若い女が一人座っているだけだ。小柄で美人とはいえないが、やや目尻の下がった大きい目は、理知的で落ちついた性格を想像させた。 だが町を見下ろすその表情は、微笑とも虚脱ともつかなかった。
 私はふと思った。きっとこういう人は自分の悲しみや苦しみを回りの人にさとらせないのだろう。 それも努力の結果ではなく、持って生まれた性格によるので、そのことをたぶん本人も知らないのだ。
 眼が合った私と女は微かな会釈を交わした。だが風に乗った花のせいだろうか、遠い屋上にいる人さえやはり桜は酔わせてしまうのか、それをきっかけに我々は行きずりにしては少々気安い会話を交した。

「大丈夫ですか? 疲れてらっしゃるようにも見えたんですけど」
「いえ、大丈夫です。でも今日はなんだか人混みがイヤになって……それにホラ、ここから見る桜って奇麗じゃないですか」
「そうですね」
「あなたは、何でここに来たんですか? やっぱり何かを忘れに?」
「うーん……言われてみればそうかも知れない。何かを忘れて……あと何かを思い出したり」
「フフフ、思い出したいことがあるなんて、いいですね」
「いや、別にいいことばっかりでもないですけどね。せっかく忘れたイヤなことまで思い出したりして」
「フフフフフ」
 打ち解けた雰囲気が、私にさらに立ち入ったことを尋ねさせた。
「今のあなたが忘れたいことって、どんなことなんでしょうね。俺でよかったらそのイヤな思い出を引き受けてあげましょうか」
「忘れたいこと? 私が?」
「さっきご自分で言ったでしょ」
「ああ……ええと、……それじゃ聞いて頂けますか。あの……彼と別れたんです。悪いのは私の方なんですけど」

 彼女は、高いが柔かい声で、まるで他人のことを話すように淡々と、ここに来た理由を語り始めた。
 古風で真面目な性格だったこともあり、部活動に打ちこんだ学生時代を通じて彼女にはボーイフレンドができなかった。
 そんな彼女も大学を卒業し就職すると同僚に誘われて、職場を超えた仲間とのグループ交際を経験し、そこで去年の夏に知り合った、彼女と同様おくての男性と二人きりで会うようになった。
 地味ではあるが、そこそこ真面目で優しく面白い若者だったので、彼女も安心してデートを重ね、二人は順調に距離を縮めていった。

「ホントに理想的な関係だったんですね。趣味や性格も今ってる方だし、二人の周りの友達もお似合いだって言ってくれてたし……。
 ケンカっていうか、たまに意見がぶつかることもありましたけど、そういうときは、かえってお互いの理解も深まって、その後はそれまで以上に仲よくなりました」
「この間、結婚について話した時は、二人とも真剣になって、彼は『お互いを幸せにするつもりで結婚したものの、離婚したり、傷つけ合ったりする夫婦もいるし、当人にしかわからない苦労があるんだろうな。 それを考えると、もともと僕は他の人より結婚願望が強くない方だし、正直なところ自分が結婚するかしないかもわからなくなってくる。 もしするとしても、知り合う時間をじゅうぶん取った上で、慎重に判断しなければならないんだろうな。 恋愛やセックスとは別の生活もパートナーとして一緒に送る相手なんだから』って言ってました。 横顔が真剣そのもので、私、ああこの人、正直なんだなって思ったんですね。 実は私も、その時の二人の関係が夫婦という形につながってくイメージが持てなかったんです」
「それで、その夜に私たち初めてセックスしました。私も彼も初めてでした。もちろん後悔なんかしませんでした。 でも終ったしばらく後ですけど、気まずくなっちゃって……原因は、私は別に意識してなかったんですけど、二人の体が離れてて、そしたら彼が気を使ってくれたんですね。 肩を抱いてくれようとして手を伸ばしてきたとき、私、その手を払いのけてしまったんです。 ホントに手が勝手に動いた、っていう感じで……私自身びっくりしたんですけど、一瞬イヤな空気が走って、目が合ったら、彼がショックを受けたのがはっきりわかりました。 それからひと月以上になるけど、彼とは全然会ってないんです」

 相変らず穏やかに微笑んでいるようにも見える彼女の、うつむいた手元に花びらが一枚落ちた。私はさらに尋ねた。

「どうして彼の手を払いのけたの?」
「なんだか怖かったんです」
「ふーん」
「彼は優しい人だし、怖がる理由なんてないのに」
「優しい人ねえ。でも本当にその彼は優しかったのかな。自分が損せずにすむなら大抵の人は優しくなるんじゃない?  誰だって他人には嫌われたくないし。それって本当の優しさなのかな」
「でも、それで相手を幸せにできるんならいいでしょう? 人に好かれようとしない人って、他人を傷つけても平気でいるんじゃないですか」
「ま、それはその通りだけど、そうとばかりも言えないよ」
「慰めてくれなくていいです。 私、全然モテなかったから、素直な気持ちで男の人とつき合えない、ひねくれた性格になってしまったんです。きっと」
「あのね、人に好かれたいっていう気持ちが独り歩きしちゃうとね、かえってそのせいで相手が傷ついたりもするんだよ」
「それ、どういうことですか?」
「同じ小心な男として、俺にはその彼の気持ちがよくわかるよ。小心者っていうのはね、自分が『いい人』かどうかしょっ中気にしているもんなんだ。 セックスし終った後で、彼には血を吸い終ったヒルみたいな自分の姿が見えたんだろうな。 それを打ち消すためにあわてて君の肩を抱こうとした」
「私、そんな完璧な男性なんか求めていません。自分がヒルみたいだって気づいてくれただけマシです。彼の優しさは私にとってあれで充分でした。」
「でも、君は彼の手を払いのけた。そうだよね」
「……ええ」
「俺には、君のその気持ちもよくわかるんだ。 君と目が合ったとき、彼がショックを受けたってさっき君は言ったけど、どっちかっていうとそれは、万引きを見つかった時のような目だったんじゃないかな。 彼は自分に対していい人を装うために君の肩を抱こうとした。君の気持ちを考える余裕さえ失って、君のことを単なる道具として理用したんだ。 彼自身には見えてなかったその手の冷たさが、君の目にはむき出しだったんだ。そりゃ怖くもなるよ……だから君は悪くない。俺はそう思うよ」
 話すほどに重苦しくなる私とは逆に、彼女ははじめていきいきとした表情を見せた。こちらを見る目が心なしか潤んでいるようだ。
「あの……私、そんな考え今まで全然浮かびませんでした。おかげさまでなんかすごい楽になりました。彼、私が思ってたほどいい人でもなかったのかな。 でもどうしてだろう、それがわかった今なら、彼の目もまっすぐ見れる気がします。ありがとうございました。今日は……お会いできてホントによかったです」
 立ち上がり、元気のよい足取りで階下へ向かおうとした彼女が、私の背後で不意に姿を消した。

 ここに来るのはいったい何度目になるだろう。 かれこれ5回ぐらいは来ているだろうか。年月流れて怪しげな中年男となった私は、来るたびにこうして別れた頃と変わらない彼女と会う。そして、彼女の動物のような、得体の知れない鋭さを恐れて、逃げるように関係を解消したあの春を思い出す。
 あの時はわからなかったけど今なら言える。悪いのはこっちだったよ。すまなかったな、ゴメン。今では届かないけど、それを言うために俺は何度もここに来ているよ。 でもやっぱり俺はどうしようもないエゴイストかも知れない。結局、昔の君に許してもらいたい一心で来ているんだもんな。今頃本当の彼女はどうしているだろう。俺のことなんて忘れて幸せにやってるといいけど。
 いつしか陽が周り、頬をなでる風も冷たくなったかなと思い、そろそろ帰ろうと立ち上がったそのとき、私は確かに微かな桜の香りを嗅いだ。

(終)




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